寅さんとイエス

「寅さんとイエス」 米田彰男 著  筑摩選書
寅さんとイエスの組み合わせ。
突拍子もない組み合わせに見えますが、1神父さまによる楽しくも奥深い謎解き物語とも言えます。
著者の職業柄イエスの生涯、聖書に関しては専門的で、ギリシャ語で書かれた聖書の語句の意味まで調べ探り書かれているのは当然としても、「男はつらいよ」の第1作から第48作まで研究し尽くされ、イエスと寅さんを比較しながらの話は、ミーハーの私にも、最後まで飽きさせませんでした。
私は「男はつらいよ」の映画は、高速バスで3本ほど見ただけですが、著者による解説が上手で、マドンナ役の女優さん(浅丘ルリ子、若尾文子、いしだあゆみ、樋口可南子、八千草薫などなどいっぱい)の名前や役柄、映画の内容がありありと想像できて、あたかも全巻みたような気持ちになっています。
<<真の幸福・人生とはなんだろうか?
功利性のみが支配する現代の中で、寅さんとイエスの比較を通して考える。>>
という著者の思いがやわらかく心に伝わりました。
何だか疲れたなあと思うときにパラパラと何度も繰り返して読んでみたい気持ちになる本でした。
『男はつらいよ』は、渥美清主演、山田洋次原作・監督(一部作品除く) のテレビドラマおよび映画である。テキ屋稼業を生業とする「フーテンの寅」こと車寅次郎 が、何かの拍子に故郷の葛飾柴又に戻ってきては何かと大騒動を起こす人情喜劇。1作ごとに叶わぬ恋のマドンナが登場する。

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須賀敦子全集(1・2巻)

須賀敦子全集 第1巻 第2巻(全8巻のうち)  須賀敦子著 河出文庫
須賀敦子さんは1998年にお亡くなりになり、存命なら84歳になられます。
丁度著者と同じぐらいの歳で尊敬している親しい友人が、「時々この本を開いて読むと、何だか懐かしい気持ちが湧いてきて、とてもいい本よ」とおっしゃるので、お借りして読みました。
須賀敦子さんは、聖心女子大学を卒業された1953年にフランスに2年間留学。フランスとは相性が合わず、帰国され、2年後にイタリアに再留学。イタリアとは相性が合い、ミラノ、ナポリ、ヴェネチアなどで学び、住人と親しく交わる中で、イタリアの地方の微妙な言葉の違いまで分わかるほど語学に精通され、日本語からイタリア語・イタリア語から日本語の文学の翻訳で才能を発揮されました。川端、谷崎、庄野潤三、石川淳などの翻訳は大変評価されています。最初の翻訳は1962年の谷崎潤一郎の「春琴抄」を夫と共訳ということで出されました。
13年に及ぶイタリア在住中にコルシア・デイ・セルヴィ書店で多くの人々と交流し、そこで知り合ったペッピーノ・リッカと結婚されます。ところが結婚生活2年半で夫君の急死、2年後1970年傷心のうち日本に戻り、上智大学比較文化学部で教鞭をとりながら思い出のエッセーを次々と上梓され、1991年に「ミラノ霧の風景」で女流文学賞、講談社エッセイ賞を受賞されました。
以上のような作者紹介では、上流社会の恵まれた女性の生涯をイメージされるかもしれませんが、イタリアでの暮らし向きは、志は高く、貧しく、夫を始め多くの友人はごくごく普通の下町の人々で、しかもそれぞれが深い苦難と戦い,乗り越えた輝く人々であり、彼らに囲まれて培った想い出をエッセイに込められています。
彼女が留学された時代は、まだ日本からの留学生は稀な時代。絵画や音楽などのアートでなく文学というエリアでの世界がとても珍しく引き込まれました。
また日本に於いても、修道院、寄宿舎、修道女などの記述が、同じカトリックミッションスクール育ちの者として親しみを感じ、生まれが兵庫県で芦屋や夙川育ちというところや、帰国されてからの、廃品回収のエマウス運動のボランティア共同体作りのいきさつなど、活動も地に付いた本格的なもので、釜が崎の暁光会のこととも関係があったと知って驚きました。暁光会所属の池田神父のお手伝いでジャガイモつくりを蓼科で一時したことがあるからです。
3巻から8巻も読んでみたいと思っています。

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「困った人間関係」の精神分析

「困った人間関係」の精神分析  小此木啓吾著 新潮文庫
世の中には「困った人」だらけである。
この本では、その困った人たちを挙げ、その人たちの精神分析をしている。
第1章は、評判の良い困ったひとたちとしては、’親切すぎて煩わしい人’から’正義を振りかざす怖い人’まで、6つの困った人たちが紹介される。
第2章は、愛と憎しみの困った人たちとして、相手を困らせ、自分も苦しむ’恋に狂う人’、’ねたみ深い人’、’やきもちやきの人’とある。
という具合に、5章に分けて困った人たちとその精神分析が、19項目に分類されて羅列されている。
そうそうその通り!そんな人いるいる!と思って読むうち、私も人から困った人と思われているのではないかと、思わされて、困った気持ちになってくる。
自分にとって困った人と付き会いたくない場合は、その人と離れれば解決するのだけれど、離れることを許されない場合、困ってしまう。たとえば親子間の困った関係、夫婦間の困った関係、仕事の上司との困った関係、ご近所さんとの困った関係、国と国の困った関係も、、、、などなど。
この本では、困らせる人の精神分析はされているけれど、相手に私を困らせるのを止めさせる方法が提示されていない。提示されていたとしても、困らせる相手の性格を変えさせるのは不可能であると思う。
例えば、夜泣きする赤ちゃんに困っているお母さんが、赤ちゃんの口をふさいで泣き止ます訳にはいかない。(最近その手の母親が出てきているようだが、、)
困らせられている自分のあり方を考えなければならない。
自分が困ったと感じないように,工夫をしなければならない。
困らせる人だらけのこの世では、誰もがお互いの精神状態を見極めながら付き合いの工夫をしてこそ、平和に暮らせるのだろう。それが出来ないところには、人間関係に無理解という苦しみが生じて、困ったことになるのだろう。
現に私の生活には、私に工夫がたりなくて、’困らせられている苦しみ’が存在している。
困ったものだ。

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徒然草

徒然草 吉田兼好著 角川ソフィア文庫
方丈記を読めば次は徒然草でしょう。著者吉田兼好は1,283年ごろ生まれ1,352年ごろ没という。ええっ?兼好は長明より130年ほど後輩なんですね。知らなかった。教養の無さが恥ずかしいです。
いずれも世の無常観を書かれた書として有名なのですが、方丈記が源平の争乱のなかで書かれたとはいえ、平安京の雅っぽさが漂うのにたいし、徒然草の方は南北朝の動乱のさなか武士っぽい固い口調で書かれている。なんだか説教じみた匂いを感じる。
書かれている内容は700年も経つというのに、そのまま現代にも通じるご意見です。お堅い人物と思われる一方、人間が好きで、徒然草に登場させる人物には、褒めたり、叱ったり、励ましたり、笑い飛ばしたりして、その中に無常観を含ませる話題が絶妙です。
徒然草も方丈記と同じく、最初の章しか記憶が無かったのですが、やはりこの序段があってこそなので、序段を書き写します。
つれづれなるままに、日暮らし硯に向かいて、心にうつりゆくよしなしことを、そこはかなく書き付くれば、あやしうことこそもの狂ほしけれ。
気に入った章としては、第155段です。四季の移り変わりと人生の移り変わりについて、春、夏、秋、冬、あるいは、生,老、病、死の移り変わりは、それぞれが分離して現れるのではなく、春の中に夏が、生のなかに老が潜んでいるというくだりが、なるほどなるほどと思わされて考えさせられました。

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方丈記

方丈記 鴨長明 角川ソフィア文庫
鴨長明(1155~1216)は平安時代の末期・鎌倉時代の文人で、彼の書いた「方丈記」は日本人の誰もが中・高校の国語授業で学んだはずです。
私もそうですが、書き始めの[行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある、人とすみかと、またかくのごとし。]という口調までは覚えていますが、あとはおぼろ、、、。
簡単に説明しますと、長明は、今の下鴨神社の正禰宜(ねぎ)の次男という身分の高いところに生まれたけれど、相続争いで負けて、終の住処となる広さは方丈(今の4畳半ぐらい)の小さな庵を京都の郊外(今の伏見のあたり)に建て、そこから世の中・人生の無常について書き記したのです。
正岡子規は病気で<病床六尺>となり、優れた俳句を発信し続けましたが、長明は隠遁といっても山奥にではなく都の郊外なので、頻繁に自由に出かけていたらしいです。
時は源平の争いの真最中、宮廷から武家の社会に変わるは、天地異変が次々起こるはの大混乱のなか、長明は小さくともセレブな庵に鎮座しつつ、被災体験者として克明に混迷する都のさまを、書きのこしたのでした。
彼は芸術家としても一流、知識人としても一流で、野心家でも策略家でもなく、大火、竜巻、飢餓、地震が京を直撃しても、己を高めながらぶれることなく、書き記したのです。
その頃から800年たった今も、世界中で頻繁におこっている大殺戮、地球異変。
新聞で、「京都で起こった天災・人災について書かれた「方丈記」の出来事が、今もなお世界中で見られる」という記事を読み、何十年ぶりかで再読し、現代に通じるそのリアルな描写に驚いてしまいました。
なんという空しさ。しっかり無常観に浸りました。

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カンガルー日和

「カンガルー日和」 村上春樹著 講談社文庫
村上春樹が今年のノーベル文学賞を受賞するのではないかという噂が広まっています。
私も、先日、朝日新聞に寄稿された、彼の尖閣諸島に対するコメントなど読み、いよいよノーベル賞受賞かなと思いました
それで、ごそごそ書棚からずっと前に読んだ「カンガルー日和」を取り出し再読しました。
1983年に出版されています。ある雑誌に連載された短編で、23編の小説が集められています。
「カンガルー日和」の中で一番引かれた一編は「図書館奇譚」です。
この1編には、春樹ワールドに頻繁に出てくる井戸を思わせる図書館に潜む迷路や、羊男が出てきて、都会の片隅に起こりうる奇妙でもやもやしたシュールな世界が展開します。
以前この本棚でも紹介した彼のデビュー作である「風の歌を聴け」は1979年。「カンガルー日和」は3年後の1983年。それから30年余り。2年前2010年に大ブレイクしベストセラーになった長編「1Q84」が1984年を示しているなら、「1Q89」の舞台は「カンガルー日和」の翌年になります。彼独特の小説の世界は30年経っても一貫していると思います。
彼の小説には、背景になる年代が示されることが多いです。
彼は私より6歳ほど若いけれど、彼が育った地域、戦後の復興、大学紛争から東京オリンピック、高度成長を経て震災や地球危機という時代の遍歴の体験に共感でき、でも一方、私が全く想像も出来なかったシュールな世界に案内してくれる文学はとても面白い。
私は若いとき、彼の小説は全く意味不明でわからなくって、60代になってからはまったのですが、若い世代や中国など世界中で人気があるというのが不思議です。

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空へ

「空へ」ジョン・クラカワー著 海津正彦訳 文芸春秋刊
著者は、1996年5月に、多くの死者を出したエヴェレスト登山に参加した作家で、九死に一生をえて生還した。その時散った12人の仲間に捧げる鎮魂の書である。
著者は優れた登山家ではあったが、まだエヴェレスト登攀の経験はなかった。しかし、アウトドア誌「アウトサイド」に山岳の連載などしていた関係で、編集長からエヴェレスト登攀ルポを書くように要請されて、軽い気持ちで、有名なガイドであるロブ・ホールが率いる8人の顧客の1人として遠征隊に加わったのである。
彼は条件の悪いなか頂上を極め、天候急変と酸素ボンベが空になりながらも運良く生還できたので、このような記録を出版できたのだが、実態は零下50度の強風の中での意識ももうろうとした悲惨な戦いだった。しかしそこにはエヴェレスト登攀に挑戦する登山家達の熱い思いが渦巻き、彼らが魅せられるのも無理はない神々しくも厳しい世界最高峰の姿があった。
彼のチームには登頂後遭難死した日本人の難波康子も加わっていた。彼女は田部井淳子についで2番目のエヴェレスト登頂者であり7大陸最高峰を制覇した登山家であった。
事件当時は遠い出来事のように思って記事を読んだ記憶があるけれど、今、ネパールと関わるようになってこの本を読むと、カトマンズから軽飛行機でルクラにとびナムチェバザールから始まる路程の雰囲気、ネパール人のポーターやシェルパたちの動きなどリアルにイメージ出来、手に汗を握り胸を詰まらせながら読み終えた。
そもそもエヴェレストという名前は、世界最高峰を発見したイギリス人の測量局長官だったエヴェレストさんの名前をつけたそうで、チベット人はチョモランマ(世界の母なる女神)ネパール人はサガルマータ(大空の女神)と呼んでいる。
これからは世界最高峰を、エヴェレストと呼ばずサガルマータと呼ぶことにしようと思わされた。
今年4月に、パタレバンで会ったネパールの俳人ラムさんが、その時のことをネパール語俳句にして披露してくれたことも思い出した。
彼の思いを日本語に訳して「ヤクの佇つ氷床の下には魂の炎」という句を作りました。

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目を閉じて心開いて

「目を閉じて心開いて」ほんとうの幸せとは何だろう 三宮麻由子著 岩波ジュニア新書
三宮さんの著書の第3弾です。
少し長くなるけれど前書きから抜粋します。
・・・
 幸福について考えたくなったら、この本を開いて見て欲しい。
 幸福になれる時期は一人一人違うかもしれないけれど、幸福になる力は、すべての人に同じように与えられていると思う。
 この本を読み進むごとに、ぜひ目を閉じて、静寂のうちにあなたの魂と対話してほしい。清純な思考は汚れを寄せつけず、揺るぎない確信へと進化していくからだ。
・・・・
数々の感動のエピソードが語られている中で、彼女を育んできたものは読書であるとおっしゃっている。シーンレスの彼女はどのように読書に親しんでこられたのか。
読書好きの私にとって、とても気になる課題だった。
最初に読み果たした長篇は、大学入試とともに開いたモンテーニュの「随想録」だと言う。それは何と点字にして14冊。4年かけてゆっくり読みそのあとフランス語での原書をフランス点字図書館から取り寄せて読まれたという。
そのあと「アラビアン・ナイト」の本点字にして99冊よんで感動されたという。この本は、三重県の図書館に、地域の点字サークルの人たちが、1点1点手で打ち込んで作った本あると聞いて貸し出しをお願いされて2冊づつ借りながら読まれたという。
「本は点字やテープでたくさん読めるけれど、一度でいいから漫画をよんでみたいな」とつぶやいたら、友達が「よっしゃ」と朗読を請け負ってくれて、池田理代子さんの「ベルサイユのばら」を全編読んでくれたという。3ヶ月かけて、120分のカセットテープ10本。この膨大な漫画を何十時間もかけて自分のために割いてくれた友人に手放しで心から感謝したとのこと。
凄すぎる!彼女を取り巻く愛。それに応える麻由子さん。そこには双方の幸福が満ち溢れている。
シーンレスの彼女は、私のようにざ~と斜め読みとかされないし、本も厳選されたものであり、それこそ一字一句丁寧に集中して読むということになる。そこで本の中の世界を脳裏に創造して遊ぶといわれる。
シーンレスの麻由子さんから、この本を通して、闇に光る清純な幸福の世界を教えてもらって心から感動を覚えたのでした。

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ナイチンゲールの沈黙

「ナイチンゲールの沈黙」海堂尊著 宝島社文庫
舞台は海堂尊おなじみの東城大学医学部付属病院での事件である。
粗筋は、案内役もおなじみの、不定愁訴外来の医師、田口公平講師で、今回は、小児科病棟の看護師浜田小夜と、彼女が担当する悪性腫瘍レティノブラストーマ(網膜芽腫)で眼球摘出手術を待つ五歳の佐々木あつし君と14歳の牧村瑞人君という少年をとりまいて起こる殺人事件である。殺されたのは、瑞人君が殺してしまいたいと憎む人間失格の父親である。
浜田小夜には不思議な歌唱能力があり、それが事件には直関係していないまでも重要な読みどころになっている。
音楽は、聴く人の脳裏に色や景色などを浮き上がらせるという現象があるそうで、小夜にはその能力があり、その歌声を聴いて癒やされる子どもが今から手術で視覚を失うという設定が、最近続けて接したシーンレスの三宮麻由子さんの世界とクロスオーバーして興味深く読み進んだ。
この本は読み始めてすぐ、これは読んだことがあると思い本棚を調べたけれど置いていない。図書館で借りたのかなと思うのだけれど、読んだことがあるといっても、話の先は見えない。最期はそうそうこのように終わると思いながら読み終えたという不思議な本との出会いだった。
そんなわけで、ドキドキ感を全く感じられなかったにもかかわらず、最期まで引き込まれて読んだと言う不思議な本でした。

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人生を幸福で満たす20の方法

「人生を幸福で満たす20の方法」三宮麻由子著 NHK出版 生活人新書
再び三宮麻由子さんの書です。
著者の三宮さんは、4歳の時視力を失い、その後何年も続く混乱時代の中から希望を見出し、前向きに幸福感を持ちながら生き抜いてこられました。

今は外資系通信社で報道翻訳の仕事をもち、優れたエッセイストとして活躍されています。
エッセイは、シーンレス(全盲)という特殊な境遇から生み出されたのでしょうが、私には、1人の困難を乗り越えた普通の人間として、困難を抱えるすべての人に向かって書かれた書物であると感じました。
彼女が体験された困難や乗り越えられた気力には、ただただ頭が下がるばかりですが、私をとりまく困難と思っていた出来事は、実にささいなことであり、思わず生活を見直そうという気持ちにさせられました。
「人生を幸福に満たす20の方法」という提言を大きく①空虚な日々を楽しむ方法②絶望の日々を生き抜くために③幸福力アップの秘訣という3つにわけて、ご自分の体験にあわせて分かりやすく書かれています。説得力があります。
20の方法の根底にあるのは、幸福は自分に与えられる喜びではなく、人のために役に立つ喜び<他利>の中にあるという気持ちです。
自分に課せられた困難は修練ではなく、神から与えられた「特色」ではないでしょうかという言葉にも納得させられました。
この本は本棚の目立つところに置いておかなくてはと思いました。

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