須賀敦子全集 第1巻 第2巻(全8巻のうち) 須賀敦子著 河出文庫
須賀敦子さんは1998年にお亡くなりになり、存命なら84歳になられます。
丁度著者と同じぐらいの歳で尊敬している親しい友人が、「時々この本を開いて読むと、何だか懐かしい気持ちが湧いてきて、とてもいい本よ」とおっしゃるので、お借りして読みました。
須賀敦子さんは、聖心女子大学を卒業された1953年にフランスに2年間留学。フランスとは相性が合わず、帰国され、2年後にイタリアに再留学。イタリアとは相性が合い、ミラノ、ナポリ、ヴェネチアなどで学び、住人と親しく交わる中で、イタリアの地方の微妙な言葉の違いまで分わかるほど語学に精通され、日本語からイタリア語・イタリア語から日本語の文学の翻訳で才能を発揮されました。川端、谷崎、庄野潤三、石川淳などの翻訳は大変評価されています。最初の翻訳は1962年の谷崎潤一郎の「春琴抄」を夫と共訳ということで出されました。
13年に及ぶイタリア在住中にコルシア・デイ・セルヴィ書店で多くの人々と交流し、そこで知り合ったペッピーノ・リッカと結婚されます。ところが結婚生活2年半で夫君の急死、2年後1970年傷心のうち日本に戻り、上智大学比較文化学部で教鞭をとりながら思い出のエッセーを次々と上梓され、1991年に「ミラノ霧の風景」で女流文学賞、講談社エッセイ賞を受賞されました。
以上のような作者紹介では、上流社会の恵まれた女性の生涯をイメージされるかもしれませんが、イタリアでの暮らし向きは、志は高く、貧しく、夫を始め多くの友人はごくごく普通の下町の人々で、しかもそれぞれが深い苦難と戦い,乗り越えた輝く人々であり、彼らに囲まれて培った想い出をエッセイに込められています。
彼女が留学された時代は、まだ日本からの留学生は稀な時代。絵画や音楽などのアートでなく文学というエリアでの世界がとても珍しく引き込まれました。
また日本に於いても、修道院、寄宿舎、修道女などの記述が、同じカトリックミッションスクール育ちの者として親しみを感じ、生まれが兵庫県で芦屋や夙川育ちというところや、帰国されてからの、廃品回収のエマウス運動のボランティア共同体作りのいきさつなど、活動も地に付いた本格的なもので、釜が崎の暁光会のこととも関係があったと知って驚きました。暁光会所属の池田神父のお手伝いでジャガイモつくりを蓼科で一時したことがあるからです。
3巻から8巻も読んでみたいと思っています。
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