「食卓のない家」 円地文子著
1971年から72年にかけての冬、世界同時革命を標榜する1つの学生集団連合赤軍による凄惨な仲間粛清の事件が起こり、単純な学生運動とは桁が違う事件に日本中が震撼とさせられた。
1965年頃から世界情勢や政府のあり方に反対する学生デモ運動が盛んになり首都圏大学を揺るがしていた。東大の入学試験が執り行われなかったり、デモで大勢の学生たちが検挙されたりした。過激な活動がおさまりかけたときに連合赤軍の事件が起こった。
5人の学生が浅間山の別荘の夫婦を人質に警察と闘い警察官1名が亡くなり学生は逮捕された。
その後の調べで南アルプスの山中で30数名いた仲間内での彼らのリンチ大量殺人事件が明るみに出た。なかには身ごもった女性仲間を木に縛り付け胎児ともども殺害した事実もあった。
その頃の私は彼らと同じ年頃でありながら街中の学生運動を他人事のように眺めていた。普通に結婚をしていた私はこの事件には心底驚き、子どもを抱っこしながら報道するテレビを食い入るように見続けた。
最近では、加害者の家族、また、被災者の家族に対する理解が聞かれるようになってきているが、その頃はそれらの家族は容赦ない偏見でたたかれ生活ができなくなっていた。
この「食卓のない家」は、5人のうちの一人の家族を取り上げて作られた小説である。
円地文子さんのことは昭和以前の立派な文学者かと思っていて恥ずかしながら彼女について何も知らなかった。「日本中を震撼させた凶悪事件。その時犯人家族は、、、」という書評に興味を持ち手にした。
円地文子は1986年に81歳でなくなり75歳から6年かけてこの小説を書かれた。
背景にある学生運動やハイジャック事件など綿密に調べ上げての作品であるけれど、事件そのことには詳しくは書かれていない。そのうちの一人の知的で正義感溢れた犯人を取り巻く家族や社会問題などがえがかれた小説である。
最近では香港の学生運動や世界各地で起こっている難民運動等などをテレビで見ながら、声を上げる勇気のある人々や、声をあげられない弱い人々などにも目を向けさせられた本であった。
一概に人を善人悪人と決めつけられないことを考えさせられた本であった。