「殉教者」 加賀乙彦 著 講談社文庫
主人公ペトロ岐部カスイは1587年に熱心なキリシタン両親のもとに生まれ、13歳で有馬のセミナリオ、コレジオ(高等神学校)に入学し、ラテン語、倫理学、文学、西洋音楽という恵まれた高度な教育を受けた。
しかし時代が信長から変わりゆき、幕府による禁令の発布で学舎は破壊され徳川幕府に変わる頃には、大勢の神父と修道士、日本人教師、キリシタンの信仰を持った人々は、次々斬首されていった。
ペトロ岐部は身をひそめキリシタン信者を守りながら、この惨状の委細を目録に書きとめなければならないと思い、殉教者の名前、逮捕のきっかけ、吟味の方法、拷問の有無、帰天の年月日を史実として書きとめた。著名なキリシタン大名高山右近が長崎に宿泊し右近の聴罪師になっているイエズス会のモレホン神父のこともしり、神父も殉教者の記録をしていることが分かり、互いに意思が通じ合いローマに知らせ記録を後世に遺そうと言うことになった。
その頃は貿易のためのオランダ人以外の出港は禁じられていてキリシタン弾圧の嵐が吹き荒れている江戸時代初期。岐部は密かに長崎の港を後にしてマニラに向かって脱出する。(この時高山右近もマニラに追放されている)。
それからペトロ岐部の長い旅がはじまるのである。目指すは聖地エルサレム。交通機関もない時代です。
長崎→マニラ→マカオ→マレーシア→インド、ゴア→イラク→シリア→ガラリヤ湖→エルサレム→トルコ→ヴェネチア→アッシジ→ローマ→モンセラート→マドリード→リスボン→ ここから海路 モザンピーク→インド、ゴア→マラッカ、マレーシア→タイ→マカオ→マニラ→トカラ列島→京都→東北→江戸(小石川)→殉教
それは400年前に日本人で初めて聖地エルサレムを単身で訪れた14年にわたる記録である。
ローマでイエズス会の神父にもなっている。
彼の目標は、日本に戻って潜伏キリシタンの力となり、最後は殉教し主のもとに帰るという揺るぎない信仰を守った52歳の生涯でした。
前回の本棚で、沢木耕太郎の紀行文の面白さを紹介しましたが、この岐部の過酷と思われる旅程も大変魅力あふれ、命を捧げる喜びに支えられている殉教への道のり、悲壮感が感じ取れません。一途の信仰に頭をたれるばかりです。
著者 加賀乙彦は全行程を巡礼の旅として訪れ(もちろん現在の交通機関を使って)構想30年、史実に忠実に沿って書かれた、ペトロ岐部カスイの14年にわたる彼の言葉で語る聖地巡礼の紀行文とも言えるでしょう。
ペトロ岐部カスイは、2008年11月に187人の殉教者と共に列福されました。