老乱

「老乱」 久坂部羊 著 朝日新聞出版

私も物忘れがひどくなってきた。夫が「あんたは完全に認知症だ!」と言ったので、私はチョットびっくりしたが「そうです。私は認知症です。ですから認知症の人の気持ちを知って、正しい話し方、どう付き合えばいいか?など書いてある本を読んで下さい。」とこたえました。

そのことがよく分かる本が、久坂部羊著の「老乱」である。

妻に先立たれて4年、気丈に立派に一人暮らしを続ける78歳の夫。それを近所で見守る息子夫妻。

私も夫より先に死ぬと同じ状況になるなあと思いながら読み進めた。

一人暮らしを完璧にこなす五十川幸造が、少しずつ物忘れがひどくなり失敗することが多くなった。認知が始まったなと心配する嫁。信じたくない本人と息子。

刻々と認知症が進んでいく状況が、幸造の立場からと、ケアをする嫁、息子の立場からえがかれている。

認知症を認めたくない、失敗を正当化したい幸造の気持ちと、なんとしても認知を食い止めたい嫁の気持ちなど、どちらの苦しみも良く分かった。

精神科医であり小説家でもある久坂部羊の話には説得力がある。本当に勉強になった。

夫に読ませたいけれど勧めにくい。

認知症にまだ陥っていないあなた。是非読んで下さい。

目からウロコ!感動しますよ!

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神去なあなあ日常

「神去なあなあ日常」  三浦しをん著  徳間文庫

人は、(大雑把に分けてですが、)「山派人間」か「海派人間」に分かれるんじゃないかなと思っています。

「海派人間」の人は、水が好き。海、湖、川、魚、かもめ、ラッコ・・・ など。「山派人間」は葉っぱが好き。山、樹林、草花、小鳥、ウサギに鹿・・・などが好き。

私は山人間です。山の中に小屋を作り年に何ヶ月か暮らすぐらい好きです。

日本の山は人手不足で見放され、荒れ放題となり、そのための災害も頻繁に起こり私も懸念していましたが、最近若者の間に林業が人気になって林業の専門学校が出来たことが今朝のテレビで放映されていました。

たまたま「神去なあなあ日常」を読み終わったときだったので驚き嬉しくなりました。

この学校を希望した若者は、きっと「神去なあなあ日常」を読んだのに違いないです。

そのぐらいに魅力溢れた本でした。

主人公は横浜の都会っ子。平野勇気。18歳。

学校の成績もよくないし、勉強も全然好きでないし、親も先生も「とりあえず大学だけには行っておけ」とも言わないし、フリータでもしながらだらだら過ごせばいいかなと思っていた。

ところが卒業式のあと担任の熊やん(熊谷先生)が「おう、平野。先生が就職先を決めてきてやったぞ」と言って親もそれ良いわと後押しされ、「ええっ?」と考える間もなく、携帯もつながらない神去村(かむさりむら)という山中の林業会社に送り込まれる羽目になりました。

そこには勇気がこれまで見たことのないとんでもない山村の人達の生活が有りました。そんな中で頼りない都会っ子の勇気が、もまれてだんだん山仕事に引かれていくという面白おかしい感動物の林業エンタテインメント小説です。

映画化もされました。勇気が染谷将太、人情あふれる強くて荒っぽい先輩に伊藤英明、憧れの人に長澤まさみで、顔をダブらせて読みました。

四季の移ろう美しい神去村の描写がお見事!神様の宿る神去山と神を祀る神事、マダニやヒルの襲来、恐ろしい山火事。

私も都会育ちなので勇気と同じ気持ちでハラハラドキドキと感動しながら読みました。

 

 

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さようならの力

大人の流儀7「さようならの力」 伊集院静 著

これぞ「あなたに読ませたい」という本に遭遇しました。

前に紹介した正岡子規と夏目漱石のことを書いた「ノボさん」がとても面白かったので、彼の小説を読みたいと思いながら、小説でなくエッセイ集を手にしました。

4章からなり、1章は「さよならは言わなかった。」2章は「悲しみは、いつか消える。」3章は「どこかで遭ったら。」4章は「去りゆくもの。」です。

項目からみると、とても真面目なお話のような感じですが、全然暗くない。大変深い心に響く話が簡潔にカラリとかかれている。ユーモアにも富んで。

伊集院さんは20代の時に高校生の弟さんを海難事故で喪い、30代の時には前妻の女優夏目雅子さんとの別離を体験されていちじは奈落に突き落とされた気持ちになられたことがありました。

けれどやがて別離を経験した人にしか見えない物が見えてくる!

 

4章の後に加えられた、若者たちに伝えるメッセージの一部を紹介しましょう。

・・・・

どうしたら大人になれるかって?

 

まずは家を出て、一人で風の中に立ちなさい。

そうして風にむかって歩き出すんだ。

歩きながら自分は何者かを問いなさい。

そうすれば君がまだ何者でもないことがわかる。

それでも一人で歩ことがはじまりなんだ。

上り坂と下り坂があれば、上り坂を歩くんだ。

甘い水と、苦い水があれば、苦い水を飲みなさい。

追い風と、向かい風なら、断然、向かい風を歩くんだ。

どうして辛い方を選ぶかって?

ラクな道、甘い水は君たちに何も与えてくれないし、

むかい風の中だけ他人の辛酸の声が聴こえるんだ。

真の大人というものは己だけのために生きないんだ。

誰かのためにベストをつくす人だ。

 (2015年成人の日を迎えた若者へのメッセージを新聞で語った文の一部)

・・

4月から家を離れて東京で下宿をし大学生活を始める孫息子に聞かせたい。

 

蛇足:伊集院さんは大の愛犬家でバカ犬といってかわいがっている犬の名は「ノボ」といいます。

 

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夫の始末

「夫の始末」 田中澄江 著  講談社

ラリグランス通信134号で紹介した沖藤典子さんの「老妻だって介護はつらいよ」の中に、田中澄江さんの「夫の始末」を何度も繰り返し読んだと書いてあったので興味がわき購入した。

「夫の始末」という題名から、田中澄江さんの夫(劇作家で有名な田中千禾夫氏)の最期とどう向き合うのかという意味かと思っていたら全然違った。

この本は「骨の始末」「花の始末」「夫の始末」「夫の病気」という4つの項目からなっている。主人公は劇作家小説家である絹だけれども、田中澄江自身の生き様を赤裸々に描写した物語ともいえる。

「骨の始末」は、人が死んでからの埋葬(お骨)についての始末のありよう。「花の始末」は愛してやまない(病気とも言えるほど)登山のことと高山植物や野の花との出会いとの始末。「夫の始末」は、夫を殺害して服役中の2人の妻に絹が面会に行き、夫を殺した気持ちを2人に聞いた所、2人ともが晴れ晴れした表情で「すっきりした」と言ったということが土台で、絹は夫のことに始終腹を立てているけれど、恨んだり憎んだりはしたことがないと絹に言わせているので、澄江が夫千禾夫の終末の始末についてのテーマではありません。「夫の病気」は、絹の90歳にもなる夫の病気と看病のことが書かれていて、それははっきり澄江と夫千禾夫のことと思われた。

この本のあとがきに「1995年8月7日 夫ふたたび入院のさ中に」と記されていて、記録を見ると、田中千禾夫は1995年11月に91歳で亡くなっていることになる。

澄江はその4年後に92歳で亡くなった。

この「夫の始末」は、女流文学賞と紫式部文学賞というダブル受賞を受けました。

この4つの始末の物語は夫婦のあり方が深く問われていて、沖藤典子さんが何度も読まれたということに納得でき、私も2度読み返し考えさせられた。

夫婦のあり方にも考えさせられたけれど、私も山が好きなので、彼女の山にたいする憧憬と、同じカトリック信者ということで、信仰のあり方についても、大変興味深く面白く読むことができた。

先週三浦朱門さんが亡くなられ、今話題になっている遠藤周作の「沈黙」を再読したところだったので、カトリック小説家についての関心も深まり良い本に巡り合って満足したことでした。

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しぶとく生きろ

「しぶとく生きろ」 野坂昭如 著 朝日新聞社

野坂昭如氏の本は直木賞をとった「火垂るの墓」しか読んでいない。1945年6月5日の神戸大空襲に遭遇し,厳しくも優しく育ててくれた養父母と家屋敷全てを失い、瓦礫の中にのこされた赤ん坊の妹と二人途方に暮れながらしぶとく生きる14歳の野坂氏の実体験にもとずいた物語でした。

赤ん坊の妹も死に、彼はその後実父の元にかえり早稲田大学に入学するも中退し小説家の道を歩む。実生活では色々ハチャメチャな生き方で話題になり有名になっていき、私には縁遠い生き方であまり関心はなかった。2015年12月9日に亡くなられたことを知り、彼の生き様を振り返ってみたくなり「しぶとく生きろ」の本を購入した。

本を読んで野坂昭如さんて本当に人間味のある素敵な方だったんだなあと知って、彼の死をつくづく惜しみました。

以前彼が「戦争の体験は2度としたくないし、誰にもさせたくないけれど、あの体験があったからこそ今の自分があり感謝することがある。」と書いておられたことを思い出す。私にも、二度と繰り返したくないけれどその失敗があったから良かったという経験があるなあと思ったことがある。

最近頻繁に起こる大自然災害、テロや内戦、大虐殺、原発の危険を、彼は心底心配している。それらは「それがあったから学習できた」どころではなく、絶対にあってはならない。地球撲滅の危機が目前にきている。

この「しぶとく生きろ」は野坂が2003年に脳梗塞で倒れ執筆もままならない苦しいリハビリ生活の中、2007年2月から2011年9月にかけて、毎日新聞に隔週連載されたエッセイを編纂されたものである。

将来、日本、世界を担うことになる青年、子どもに、しぶとく生きてきた自分よりさらに「しぶとく生きろ」と力を込めて病床から真剣に叫ばれたエッセイである。

現に世界では、戦争は過去のものではなく、今日もシリアの内戦でアレッポの街が人影もなく瓦礫の街になっている様子をテレビでみました。そこで暮らしていた人々は難民となって何処にさまよっておられるのか、、、。

政治家達(トランプも安倍さんも)は目先のことにとらわれず世界平和を見通した政策を世界の国々と協力しあって作って欲しいものです。

期待できないですねえ、、。子どもたちに期待したい。やっぱりそのためには大人がしっかり伝達していかないと、、、。

 

 

 

 

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となりの芝生

「となりの芝生」 伊集院静 著 文藝春秋

週刊文春で連載されていたという悩み相談のコラムからの抜粋集です。

*<すぐ役に立つものは、すぐ役にたたなくなる>で、8問答

*<人のこころなんかつかむんじゃねえよ>で8問答

*<手を差しのべている人にしかリンゴやブドウはおりてこない>で8問答

*<言うも言わないもあなたが決めていくことなの>で8問答

からなります。どれも驚きの名回答!ウイットに富んだ、おかしいホント笑える問答。

でも限りなく温かいお言葉。

1つ紹介しましょう・

問:部屋が片付けられません。世間では「断捨離」がブームですが、私の部屋はものであふれかえっていて、しかもどれもこれも愛着が湧いてしまってしまい捨てることが出来ません。今度、カレが初めて遊びに来るのですが、こんな部屋に通すわけにいかないし、、、。思い切ってモノを捨てたいのですが何かいい方法はありませんか?(25歳女会社員)

答:「断捨離」って何だよ?そんなブームしらんよ。物を買ってきたのはあんたでしょう、愛着があるのもあんただし。彼氏を」部屋に入れられないって、若い女が彼氏を部屋に入れて何をしようとしてんの?彼氏にも愛着あるんだろうから、そのガラクタと一緒に部屋に並べておきゃいいだろうよ。

先に片付けなきゃなんないのは、あんたのその甘えだ。

面白いでしょう?

図書館で借りてきた本ですけれど買いに走る程でもないけど大いに笑えました。

伊集院静さんの本は、本棚でも紹介した「ノボさん」がすごく面白かったけれど他の著作を読んでいないので読もうと思います。彼のことは白血病で亡くなった夏目雅子さんと結婚されたことなど、彼の生き方に興味があって週刊誌などに掲載されているエッセイなどを読んでいましたが著作を読もうとしなかったのが残念。

こんど紹介しますね。

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命売ります。

dscn1558「命売ります」三島由紀夫著 ちくま文庫

作家三島由紀夫の本は教養のために「金閣寺」を何十年も前の昔に読んだだけで、他の名作と言われた本は読んでいない。

でも彼の独特な生き方については関心があり彼に関する記事は割とよく読んだ。最後の割腹自殺のことには衝撃を受け新聞やテレビで報道されたことを熱心に読んだことを覚えている。

今回何故この本を取り上げたかは、息子が「結構面白かった」といってリビングに置いていったので読んでみた。

確かに思いがけなく面白かった。

主人公の羽仁男は無気力で生きるのも面倒になり服毒自殺を試みる。しかし死にきれず、目覚めたのは病院のベッドでまだ生きていた。「全くぅ!必要と思われないこの命。この命を売ろう」と新聞に「命売ります」という広告を出す。

まず訪ねてきたのが、風采の上がらない老人。自分の愛人を殺してくれという依頼。愛人には他の愛人がいて彼女を殺してくれるとその愛人はお前を殺すであろうということ。20万円で請け負う。

ところが愛人を殺すことになったけれど自分は助かってしまう。

ということの繰り返し。

文章は読みやすくスラスラ読める。思いがけない話の展開と最後のどんでん返し。

誰かに似ている文体。そうだ、村上春樹の本に似ている!

というか、村上春樹は三島由紀夫の本を必ず読んでいただろうし、影響をうけていると思う。

話の途中で村上春樹の本を読んでいる気になったほどだ。

それと、たしか今年のお正月にドナルド・キーンさんと寂聴さんの文学対談のような企画をBSプレミアムで見た時にキーンさんが「三島由紀夫はものすごくノーベル文学賞をとりたがっていた。ところが川端康成がとりものすごく悔しがっていた」と話されたのを思い出した。

そこで、今、ノーベル文学賞の季節。村上春樹がノーベル賞か?という噂になったこともあって、この「命売ります」はとても面白く、割腹自殺で死んだ三島由紀夫の死生観、川端康成の自殺、など、色々考え深いものがあり面白かった。

三島由紀夫の他の著作をアマゾンで注文した。

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プラテーロと私

「プラテーロと私」 J.R.ヒメネス著  訳:伊藤武好 伊藤百合子 絵:長新太

最近、否、これまでにこんなに心が洗われ豊かな気持ちにさせられた本はなかったと思いました。

詩人ヒメニスが生まれ故郷のスペイン・モゲールでの生活を描いた散文集です。

ヒメニスと心から愛するロバのプラテーロを取り巻く、野花が咲き乱れる草原、元気な子どもたち、村の教会など平和そのもの。

ヒメニス(1881~1958)はこよなく故郷モーゲルを愛し詩作をしますが1930年の世界史にものこる過酷なスペイン動乱に遭遇しアメリカに移住します。

私の本棚で紹介したキャパとゲルダやヘミングウェイと同じ世代です。

ヒメニスは戦後モーゲルに戻り詩作を続け、1956年にはノーベル文学賞を受賞します。

とても著名な詩人だそうですが、恥ずかしながら私は知りませんでした。

私のすぐ近くに「ひなび」という食事処があります。古屋をリフォームした文字通りヒナビた小さな小さな食事処です。

若い女性オーナーがオーガニック材料を工夫してこしらえた美味しいお食事を一人で作り供します。

お店は彼女の好みに合わせて自然の木の実や葉っぱで飾ってあり、小さな書棚に何冊か愛読書が並んでいます。

そこから1冊「プラテーロと私」を借りて帰りました。

 

プラテーロと共に過ごす本当に美しい平和な日々を綴る詩133編。

そして本の最後には愛するプラテーロへの追憶の詩となります。

・・・

プラテーロ、おまえは私達を見ているね、ほんとうだね?

子どもたちが、いわバラの間を賑やかに走り回っているのを、おまえは見ているね。

その枝には、洋紅色の水玉をちりばめた白い花が、チョウのように群れをなして、そっと咲いているだろう?

プラテーロ、おまえは私達を見ているね、本当だね?

プラテーロ、おまえは、ほんとうに私達を見ているね?そう、おまえは私を見ている。そして私は、谷間のぶどう畑を甘く包むおまえの悲しげなやさしい鳴き声が、晴れ渡った西空に聞こえると信じている。

そう、そう、私には聞こえるのだよ、、、、。

・・・・・・

心にたまった邪念を洗い流し清めてくれる本でした。早速注文して私の本棚におさめます。

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夫婦口論

「夫婦口論」 三浦朱門 曽野綾子 共著 扶桑社新書

<口論>というと悪口を言い合うというイメージだったので、この題から三浦・曽野夫妻が悪口を言い合う本なんだろうかと思ってしまったが、全然違った。

副題は<二人で「老い」を生きる知恵>とあるのだけれど、それとも違う。

近年の風潮をもう世も末だなと憂い、夫妻で嘆きながらしゃべりあったことが書かれている。

三浦氏と曽野氏の生き方は、教壇に立つ大学教師とサハラ砂漠にでもどこにでも行くといった現場調査重視の小説家といった大きな違いもあるが、お互いに相手を尊敬しあい認めあいされているご夫妻であり、夫妻として付かず離れず仲良く生活されていることが分かって面白かった。

会話の内容は

  • 流されない生き方
  • 子どもに何を教えるか
  • 成熟した大人になるために
  • 自立した人生のすすめ
  • よき日本人であれ
  • 国際社会で生き抜くために必要なこと
  • 人生に必要なこと
  • 宗教と人生
  • 夫婦の生き方・哲学
  • エピローグ・・後世へのメッセージ

というテーマの会話である。

お二人性格も違ってそれぞれ行動される場所も別々だけれど、二人の考えの根底は同じで、会話(口論)はユーモアに富み穏やかで嫌味はなく大変楽しいものであった。私も「そうそう、私もそう思う」とか言って一緒に会話の輪に入っていたような気持ちにさせられた。

でも、中で「ちょっとそれは、、、?」とおもったのが3つある。

1つは「全ての教育は強制から始まる」 2つ目は「国旗・国歌に対する非礼は世界の非常識」 3つ目は「靖国神社に行くしかない」である。

曽野さんは逆説的正論をされることが多くて他人から批判されることも多いが、私は納得することが多い。例えば「海外援助活動も、“世界中が泥棒”と疑ってかからねば失敗する」というご意見にはホント賛同する。

最後の10,エピローグ後世へのメッセージの ・国家がなくなった異常事態 ・戦争は語り継げない ・靖国神社に行くしかない ・生活の源流を知らなくてはいけない ・この偉大なる矛盾 ・幸福は自分で発明する

という6項目を見るだけで、彼ら独特の歯に衣きせぬ会話が展開されていることがお分かりかと思う。

曽野綾子さんの生き様(考え方)がよく分かって面白かったし、自由で真摯な彼女の生き方は夫三浦朱門さんの包容力があってのことかとも気づかされ、私自身の生き方に照らし合わせて考えさせられた。

図書館で借りた本だったが買って本棚に置きたいと思った。

 

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海辺の扉

「海辺の扉」 宮本輝 著 角川文庫(上下)

宇野満典は妻の琴美と3歳になる息子の晋介の3人で幸せに暮らしていた。ある日の夕食時、晋介が「レタスは嫌い」と言って口から吐き出したので、満典が「食べなさい!」と強要した拍子に晋介は椅子から落ちて頭を打ち死んでしまう。琴美は「あなたが殺した!」と半狂乱になり、満典も自念にかられ、自分が殺してしまった気持ちになり、二人は離婚し満典は5年の刑を受け服役する。5年後出所した満典は琴美に会いたくて2人の思い出の場所に来てほしいと琴美に連絡するが現れず、彼は逃げるようにギリシャに行く。法に触れるような怪しく危ない仕事をしながらも5年の月日が流れ、日本に移住したいという恋人が出来ギリシャで結婚する。先に満典だけが日本に帰るが心の底には琴美への思いがあり、琴美も満典のことが忘れられないことが分かり会う。

さてさてその先は読んで下さい。人間の生死について深く考えさせられる本である。

先日神宮外苑で行われたアートのイベントで痛ましい事故が起こった。某工業大学の建築科の学生たちが、おがくずで美しく装飾した木製のジャングルジムを作り、子どもたちに開放していた所、日が暮れてLED電気で照明していたのを、もっと明るくしようと一部白熱灯の投光器でライトアップした所おがくずがその熱で発火し遊んでいた5歳の幼児が焼死してしまった。助けようとした父親も怪我をした。

私の孫が工業大学の建築科を目指して受験勉強中であり目を引いた。白熱灯の照明機具が高熱を持つことは常識ではあるが、祭りをもっと盛り上げようと学術的なことを忘れてテンションがあがり、これを使えば効果が上がると安易に使用してしまったことは想像にかたくない。学生たちはおそらく子どもの頃ジャングルジムが大好きで子どもに還りワクワクしながら制作したのではないだろうか。今、学生たちはどんなに苦しんでいることだろう。悔やみきれないだろう。一生その重荷を背負って生きて行かねばならない。一方子どもを殺された両親はどんなに辛く悔しく悲しんでおられることだろう。父親は学生たちを恨むことより先に自念にかられ、母親は監督不行き届きだと夫を責めるのではないだろうか?両親も一生悲しみが消えることはない。

貧困から我が子を殺すとんでもない親の事件も後をたたないけれど、この親だってぬぐいさることの出来ない重い罪の意識を心の底に秘めきっと一生引きずっていくと思う。

 

病気の場合は医学の発達に夢があるが、暴力、殺人、災害、事故で子どもを失ってしまうのは慚愧に堪えない。大人たちが守っていかねばならない。

 

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