「夫の始末」 田中澄江 著 講談社
ラリグランス通信134号で紹介した沖藤典子さんの「老妻だって介護はつらいよ」の中に、田中澄江さんの「夫の始末」を何度も繰り返し読んだと書いてあったので興味がわき購入した。
「夫の始末」という題名から、田中澄江さんの夫(劇作家で有名な田中千禾夫氏)の最期とどう向き合うのかという意味かと思っていたら全然違った。
この本は「骨の始末」「花の始末」「夫の始末」「夫の病気」という4つの項目からなっている。主人公は劇作家小説家である絹だけれども、田中澄江自身の生き様を赤裸々に描写した物語ともいえる。
「骨の始末」は、人が死んでからの埋葬(お骨)についての始末のありよう。「花の始末」は愛してやまない(病気とも言えるほど)登山のことと高山植物や野の花との出会いとの始末。「夫の始末」は、夫を殺害して服役中の2人の妻に絹が面会に行き、夫を殺した気持ちを2人に聞いた所、2人ともが晴れ晴れした表情で「すっきりした」と言ったということが土台で、絹は夫のことに始終腹を立てているけれど、恨んだり憎んだりはしたことがないと絹に言わせているので、澄江が夫千禾夫の終末の始末についてのテーマではありません。「夫の病気」は、絹の90歳にもなる夫の病気と看病のことが書かれていて、それははっきり澄江と夫千禾夫のことと思われた。
この本のあとがきに「1995年8月7日 夫ふたたび入院のさ中に」と記されていて、記録を見ると、田中千禾夫は1995年11月に91歳で亡くなっていることになる。
澄江はその4年後に92歳で亡くなった。
この「夫の始末」は、女流文学賞と紫式部文学賞というダブル受賞を受けました。
この4つの始末の物語は夫婦のあり方が深く問われていて、沖藤典子さんが何度も読まれたということに納得でき、私も2度読み返し考えさせられた。
夫婦のあり方にも考えさせられたけれど、私も山が好きなので、彼女の山にたいする憧憬と、同じカトリック信者ということで、信仰のあり方についても、大変興味深く面白く読むことができた。
先週三浦朱門さんが亡くなられ、今話題になっている遠藤周作の「沈黙」を再読したところだったので、カトリック小説家についての関心も深まり良い本に巡り合って満足したことでした。