小説「聖書の女性たち」 

小説「聖書の女性たち」 木崎さとこ著 日本キリスト教団出版局
旧約聖書から新約聖書に出てくる女性たちのエピソードを、1編が原稿用紙8枚という短い小説(旧約24編・新約12編)に書かれた興味深い小説であった。
旧約聖書にまず出てくる女性は、言わずとしれたアダムのあばら骨から作られたというエヴァである。アダムを誘惑に陥らせ、神との約束を破って楽園を追われた人類の源、アダムとエヴァ。
でも、神との約束を守っていたならば、その後現在にまで延々と続く人類の歴史は存在しない。
あなたも私も存在しない。
旧約聖書では、「イスラエルの歴史に神がどう働きかけたか」という一貫したテーマがあり、それに添いながら子孫を残していく道程は、残酷ながら中々考えさせられる。
旧約の時代から男は、権力のみを求め、女は男が権力を維持するために子孫をのこす道具であった。男は道具としてしか又は欲望のはけ口としか女を扱わない者が多く思慮に欠けていた。女はそのような納得しかねる女の道をそう単純に受け入れていたわけではないのではないか。そのへんの思慮深い女性の深層心理が、とても魅力的にえがかれている。
初源の女性・エヴァ、聖母マリアと姉のエリザベト、そして圧巻はマグダラのマリアの話。
愛すべき聖書に出てくる女性達!
聖書を少しはかじったことのある方は、必読。
よくわからなかったアブラハムやバベルやサムソンなどの事情も、そうだったんか等と、納得できたりします。

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田辺聖子の人生あまから川柳

「田辺聖子の人生あまから川柳」 田辺聖子著 集英社
俳句に凝ったことがある。
私の句は、川柳みたいと仲間によくいわれる。
冗談好きの私は、句に笑いをつい入れたくなるからです。
それじゃ川柳をひとつ、、となると難しい。とても5・7・5では人間心理のきわどさ等をユーモアを込めて収めきれない。
俳句は、季語を入れると、なんとなく句にまとまる気持ちになるが、川柳はそうはいかない。考えるうちにしらけてしまう。
「田辺聖子の人生あまから川柳」では、川柳好きの田辺聖子さんが丹念に選ばれた、古典というかもう6?70年以上も前の珠玉の川柳100句。
その中から、共感し思わず笑った句を5つ選びました。
*かしこい事をすぐに言いたくなる阿呆  亀山恭太(1927年生まれ 教師)
*このご恩は忘れませんと寄り付かず  大田佳凡(1907年生まれ 医師)
*西出口というたがなイヤ聞いてない  岸本水府(1892年生まれ 川柳六大作家)
*不細工な妻に子供はようなつき  後藤梅志(1894年生まれ  商店主)
*良妻で賢母で女史で家にいず  川上三太郎(1891年生まれ  川柳六大作家)
どれも、昔の句とは思えない、今もお茶しながらのおしゃべりに登場する身近な話題です。
この句を添えると、爆笑で盛り上がること間違いなしです。
この本には、あと95句も載っています。それぞれに田辺聖子の感想が述べられていて、それも又楽しい。
イヤなことも笑いに流せる術も学べます。
お笑い好きの方。一読のほどを!

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悼むひと

悼む人 天童荒太著 文芸春秋社
「おくりびと」がアカデミー賞に輝いて、テレビでもその話で持ちきりです。
亡くなった人の体を清め、棺に納める仕事人納棺師を描いた映画だそうである。
私も友人が亡くなった時、葬儀の始まる前に納棺の儀式に立会ったことがあり、20代と思われる若い納棺師さんが、遺体に向き合い、荘厳で優雅な動きでことを運ぶのに驚いた体験がある。友人が丁寧に扱われよかったと思った記憶がある。
映画を観た人は、だれもが感動し、自分もこのように<おくられたい>し、愛するひとを<おくりたい>と思うそうである。
しかし、世の中、このように家族や知人に暖かく見送られる人ばかりとは限らない。
孤独死をする人、憎まれて殺されたり、闇に葬られた人々も大勢いる。
「悼む人」はそのことに気付いた1人の青年が、誰からも死を顧みられることもなく葬られた人を捜し求め、亡くなったという場所にひざまづき、その人をただ悼む、という話である。
どんな凶悪な悪人であっても、どんなに不幸を背負った人でも、一生に一度は誰かに愛され、誰かを愛した経験があるにちがいない、と青年は思う。
そんな人の死を悼みたいと思って、青年は旅を続ける。
映画「おくりびと」が華々しく話題を提供する中、「悼むひと」のことも同時に考えてみたいと思って紹介しました。

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シズコさん

「シズコさん」 佐野洋子著 新潮社
「一度も好きじゃなかった母さんへ、ごめんなさい、ありがとう。」
母親との関係に悩んでいるすべての人へ、、、。
全国から共感の声が届いています!5万部突破。
それが、帯に書かれた、キャッチフレーズです。
カミ?ユ・クローデル(2008.11.9記載)のことを教えてくれた友人が、同時に「シズコさん」の本に触れられていたので購入しました。
私の母親はもうすでに亡くなり、私には娘がいないので、あまり興味を引かれませんでしたが、友人は、女性(娘)が生きていく上に、“母親との関係が、いかに重要な鍵を握っているか”をテーマに学究しておられて、彼女の論説も聞いてみたいので読みました。それと、私が自分の母親との関係を思いかえすのもいいかなとも思って。
「シズコさん」の娘である洋子さん(著者)は、母親からは愛情を感じられない意地悪な育てられ方をし、母親を恨み大嫌いになってしまう。
母に反発し反抗しながら成長し、結婚し子供も産み大人になって、ようやく母親の気持ちも少しは理解出来るようにはなるけれども、決して母親を好きにはなれず許すことが出来ない。
母親が老い、介護が必要になったとき、母親を介護しなくてはならないという義務感から、高額な介護センターに入居させるが、「親を捨てた」という自責の念も捨てきれなくて苦しみます。でも愛することが出来ない。
ボケ始め老醜をさらす母を冷たく見ながら、嫌悪感と戦うこと数年。ようやく母から受けた仕打ちだけではなく、母から受けた恩恵も感じるようになります。
そして、洋子さんは、母親がすっかりボケてしまたある日、突然、初めて母を愛しいと思う気持ちが忽然と沸き起こったのです。
<<私は「こころ」というものがあるなら、母さんに対してそれを麻糸でぐるぐる巻きに固く固く何十年も縛り込んでいたような気がする。その糸がバラバラにほどけて、ラクに息が出来て生き返ったような気がした。>>
「母さん。ごめんね、ありがとう」の言葉が出て、読者の私も肩から力が抜けました。
最近、親の子に対する虐待のニュースが跡をたちません。親は、子供に対して酷い仕打ちを平気でして、そのことをすぐ忘れますが、子供のほうは決してその仕打ちを忘れず許せない気持ちを持ちつづける。ということを聞いた事があります。しかしその一方で子供は、親からどんな仕打ちを受けても、親を恨みながらも、親を愛し親を見放さないそうです。
切っても切れぬ親子の縁。
私は息子達にこれまでどんな影響を与えてきたんだろうか。私が要介護になった時、それがどんな風に現れてくるのか心配になりました。
ボケてから愛されてもなあ、、、。

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いのちへの対話 露の身ながら

「露の身ながら」 多田富雄と柳澤桂子の往復書簡
国際的に著名な免疫学者の多田富雄氏と遺伝学者である柳澤桂子氏の往復書簡です。
多田氏は、研究発表で世界を股に掛けて飛びまわり活躍中の2001年の春、出張先の金沢で、突然脳梗塞の発作に見舞われました。何日か意識不明の後に、目覚めた時は、右半分の完全な麻痺に加えて声を失い、嚥下障害で水さえ飲めなくなり、重度の障害者になってしまわれました。
柳澤氏は、三菱化成生命科学研修所で、マウスを使って大発見に繋がるかもしれないというT遺伝子の研究に本腰をいれようとされていた時に、原因不明の病気にかかり研究を断念し、病気の原因がわかるまで32年間もベッドから離れられない生活を強いられ、病名が分かってからも病気は治らず闘病中なのです。
そのお二人の往復書簡は、お互いの身体を労わりあい、介護される身の辛さを嘆きながらも、家族愛、遺伝子、オペラや能、芸術、宗教、戦争と平和について多肢に渡り知的で格調高い対話が交わされます。
子供の頃から多くの困難に会って生活してきた人々は、逆境に強く逞しくて、ある意味羨ましく思うことも多いです。これまで、ぬくぬく暮らしてきた私なんかは、いくつもの困難を抱えながら逞しく生きていかれる人々を知るにつけ、この先、老い、どんな病気や境遇に陥るか、はたしてそれを乗り越えていけるのか、不安になることがあります。
お二人は病気になるまでは、家庭にも才能にも恵まれ、多くの人々から尊敬され、お幸せな毎日だった訳で、突然の病気にどんなに苦しい思いをされたか想像に難くありません。でも、お二人は重度の病気という重石を背負いながら、自分の研究に状況を重ねて不自由な身体を冷静に分析し、挫けず乗り越えていかれる姿には、とても感動しました。
二人とも、戦争の愚かさ、地球・人類の危機、についても、真剣に憂いておられ、不自由な身ながら、アピールしていく方法を考え実行していかれるところにも感動しました。
私もこの先困難に陥った時はきっと励みになるだろうと思わされました。
あなたにも、是非とも読ませたい本です。

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日本童謡集

日本童謡集 与田準一編 岩波文庫
近所の児童書専門店の店主さんと話が盛り上がり、最後に薦められて買いました。
童謡童話雑誌「赤い鳥」の創刊(大正7年)から昭和20年の終戦に至る30年間に発表された創作童謡の中から300余篇を選び編纂された本です。
私が知っていて一番古い童謡は、北原白秋作詞「雨」。大正7年9月の作だそうです。
私が生まれる25年も前の歌です。
♪雨がふります 雨が降る
遊びにゆきたし 傘はなし
紅緒の木履(カッコ)も 緒が切れた・・・♪
知らなかった。そんなに古い歌だなんて。小学校の頃、否、大人になってからも雨が降ると雨を見ながら唄ったものだ。
大正8年10月の清水かつら作詞「靴がなる」
♪お手て つないで 野道をゆけば
みんな 可愛い 小鳥になって
唄をうたえば 靴がなる
晴れたみ空に 靴がなる・・・♪
この童謡は、お遊戯も知っています。替え歌も、、。
♪お手テンプラ  つないデコチャン 野道をゆけバリカン、、♪
7?8歳の頃、大きな声でしっかり唄っていたのを覚えています。何処で誰からおそわったのかしら?
昭和7年10月の島田浅一作詞「乳を飲ませに」
♪冷たい 雨の 降る原を、 弟おぶって 行きました。お乳飲ませに 行きました。
冬の カタバミ 咲いていた、小さな 溝を 超える時、足駄の 鼻緒が 切れました。
紐を 捜して いるうちに、 工場で ポーが 鳴りました。3時のポーが 鳴りました。
3時の 休み、 15分、 母さん 待って いらっしゃる、 お乳 はらして いらっしゃる。
鼻緒すげるも じれたくて、私は はだしに なりました。
はだしで 急いで 行きました。♪
この唄を知りませんでしたが、今のネパールの田舎のまずしい子供の姿がだぶりました。
「母さん 待って いらっしゃる。」という敬語の言い回しかたが なんともいえない、愛情と可憐さを呼ぶ。
この本には美しい日本の情景と美しい言葉が、溢れています。
あなたの本棚にも収めてほしいな。

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田辺聖子の小倉百人一首

田辺聖子の小倉百人一首  田辺聖子著
新年おめでとうございます。
今年も「私の本棚」を、時々お訪ねください。
今日は、新年にふさわしく、小倉百人一首の紹介です。
昔はお正月に、家族で百人一首のカルタをしたものです。母が朗々と詠みました。
でも、私、実を言うと、恥ずかしながら正確に知らないのです。
札を早く取るために 
「秋の田の → わが衣手は、、、」「君がため 春 → わが衣手に 雪、、」
「君がため 惜し、、 → 長くもなが、、」
というような覚え方をして、中が抜けているのです。 
これは恥ずかしい、、、という訳で、「田辺聖子の小倉百人一首」を去年の11月頃から読み始め12月31日に、読み終えました。とても面白く読みました。
王朝人の風流、和歌の雅を、優雅に詠い、私の中にも潜んでいたらしい日本人としての情感を呼び戻してくれました。
今、我が家に集まって騒いでいる家族には、残念ながら 百人一首を楽しむ雰囲気がまだないので、今年は密かに一句ずつ完全に覚え、2年先あたりには披露してイイカッコしたいと思います。

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廃用身

廃用身  久坂部羊 著 幻冬舎
廃用身とは、医学用語で治る見込みのない部分のことを指し、例えば脳梗塞の麻痺で動かなくなった手足のことを言う。
神戸で老人ケアセンターと老人医療のクリニックを開いている医師の漆原は、温厚な人格者で老人の気持ち介護者の気持ちを大変よく理解し、何とかしてそれらの人々を苦痛から開放させてあげたいと日々心を砕いていた。
ある日彼は、心身の不自由な患者の画期的療法を思いつく。それは廃用身の切断だった。
それを聞いたクリニックのスタッフや患者は一様に驚く。しかし説得ある説明に不安ながらも切断の手術に賛成していく。
患者の同意の下、次々に手術は行われ、患者はお荷物であった不自由な手あるいは足がなくなり、動きやすくなり、苦痛や鬱からも開放され見る見るうちに元気になっていく。
ところがマスコミがかぎつけ悪魔の医師として告発され、漆原は破滅していく。
この小説は、漆原の手記と、それを出版させようとする出版者社員の矢倉との共同著という構成で書かれていて、ノンフィクションと錯覚するほど現実味があり引き込まれた。
近い将来かならず向き合わないといけなくなる少子高齢化問題。介護問題。医師の資質。メディアによる真実の歪曲。などなど実に多くの問題を身につまされながら読んだ。
デイケア施設で、老人介護に携わっておられる介護士さんほど、神経と肉体をすり減らす重労働はないだろう。給料を上げ雇用を増やすようにしてほしいと切に思った。
それ以上に、施設に入らず(入れず)自宅介護を担う家族のご苦労は、体験のない私には想像を絶することで、自分の将来を考えると暗澹とした思いにとらわれた。

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カミ?ユ・クローデル

カミ?ユ・クローデル 湯原かの子著
副題が、「極限の愛を生きて」という、カミ?ユ・クローデルの伝記である。
臨床心理学士でもある私の尊敬する友人が、何度も読んだというので興味を持って本を開いた。
カミ?ユ・クローデル(1864?1943)は、「考える人」を作った有名な彫刻家であるロダンの愛弟子であり、女性の彫刻家というのを世に認められていない時代の、天才的に才能のある美しい女流彫刻家であった。彼女の育った家庭環境には問題が多々あった。母は妹を溺愛しクローデルは嫌われ、父母の関係は悪く、弟だけが理解者であった。
ロダンは、クローデルの才能を高く評価し、二人はお互いに切磋琢磨し芸を高めていくが、愛しあう関係になるのは、当然の成り行きであろう。
しかし、その愛は歪であった。ロダンには、平凡な魅力があるとは言い難い妻がいて、彼は妻と別れる気は毛頭ない。かたや美人で才能もあるクローデルは、ロダンが妻と別れず、ロダンとの愛が成就しないのにいらだち、次第に精神のバランスを失っていき、ぼろぼろに壊れてゆく。
ロダンと決別したクローデルはたちまち生活苦に陥り、狂気の淵へ吸い込まれていく。ついには精神病院に入院させられ30年間。病院から出ることはなく、彼女の本心を誰からも理解されず79歳の命を終える。
極限の愛に生き、そして気が狂い破滅したクローデル。
その根源を、私は、師でありライバルであり愛人であるロダンにあると思うのだが、友人は、彼女の育った家庭に大きく根ざしていると見ておられるようだ。
現代、精神を病む人々が異常に多くなってきて話題になっているが、クローデルの行き様は、その根源を暗示するヒントを示しているようで、私もあと2?3回は読み直してみたいと思う。

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スメル男

「スメル男」 原田宗典 著
6月9日に、「蛙男」(清水義範著)という本を紹介しました。とても面白かったので、今回、書店で「スルメ男」というのを見つけ、「面白ろそ?!」と思って買い求めました。
・・・・
僕の肉体の異常は、告白しないかぎり誰にも気付かれない種類のものだ。・・
簡単に説明すると、ぼくは鼻が利かないのだ。何の匂いも感じない。嗅覚ゼロ。
・・・・・・
ふむふむ。なかなか面白い書き出しだわと、ぐんぐん読み進めました。
私も数年前アレルギー性鼻炎で、嗅覚が極端に鈍感になったことがあるので、主人公の苦しみも分かり読み進めていきました。
医者に行っても改善されません。
そうち今度は、誰もが耐えられない程の強烈な悪臭を自分が発散することが分かり、それから話が展開していくのです。
現実には起りえない、けれど起りうるなと思わせる、凄く奇抜な発想の展開でとても面白い。
ところで、、、いつまでたってもスルメが出てこない。
そして3分の2ぐらい読み進めているところで「あっ。スルメではなくスメルなんだ?!」と気付いた次第。
スルメは出てきませんが、ユーモアもあり怖?い本です。おススメです。

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