老いの才覚

「老いの才覚」曽野綾子 著 ベスト新書
・・・<本書より>・・・・・・・・・・・・・・・
年の取り方を知らない老人が急増してきた!
超高齢化の時代を迎える今、わがままな年寄りこそ大問題。
人生を面白く生きるための才覚を持つには、、、
1.老いの基本は「自立」と「自律」の力。
2.老化度を測る目安は「くれない指数」。
  他人が<してくれない>と嘆かず自分がする。
  料理、洗濯、掃除…日常生活の営みを人任せにしない。
3.夫婦、親子の付き合いかたを慎重に。あまえない。親しき仲にも礼儀あり。
4.人に何かをやってもらうときは、対価を払う。
  備えあっても憂いあり。一文無しになったら野垂れ死を覚悟する。
5.孤独と付き合い、ひとりで人生を面白がるコツを身につける。
  老年の仕事は孤独に耐えることです。
  老い、病気、死と馴れ親しむ。
6.神様の視点を持てば、人生と世界が理解できる。
・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
曽野綾子さんの生き方考え方には同感を覚えることが多い。
さて、「老いの才覚」だけれど、これも常々私が志していることと同じである。が、私には実行できないだろうという危惧がある。分かっているけれど出来ないよ。
老人がおかれた立場(生活の場)で随分ちがってくる。
曽野さんは夫君三浦朱門氏の二人暮しで、お互い趣味や生き方の考えが違っても、尊重し合って相手を自分の考えに引き込もうとされず、お互い自律されている。
人生を楽しく生きるために前述の6か条を守りながら楽しく生活を送ろうとするならば、お互いが鉄則を守らなければ無理である。
共同生活をしなくていけない場合、前述の6か条の才覚を持つものどうしであれば、幸せに尊厳のある生活をしていけるが、片方がその才覚を持ち合わせていない場合の生活は悲劇である。
嫁あるいは娘あるいは息子が親を自宅で介護しようとした場合、老親がその6か条から程遠いところにいる場合、今更親に6か条を教えても受け入れてもらえる訳はない。わがままな老人を抱えて苦しんでいる介護人は多い。
この本は、今から老境に入らんとしている全ての人々にとって必読良書である。
この本を、この先お世話になるであろう嫁には見せられず、私が陰でしっかり読むべき良書である。
私はこの本を、私の本棚にではなく、夫が目につくテーブルの上に置きました。(笑)

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いつも僕のなかは光

kakehasi.jpg「いつも僕のなかは光 梯剛之」 角川書店
盲目の天才ピアニストと呼ばれる梯剛之さんのピアノリサイタルに行きました。
生まれて初めて耳にすると言っていい澄み切った音、流れるようにかもし出される心地よい響き。
オールショパンのすばらしいプログラムでした。
CDと彼の半生記「いつも僕のなかは光」の本を買ってかえりました。
CDを聴きながら一気に読みました。
ラリグランスのホームページにも書いていますが、今視覚障害者の方たちのことを深く知りたいと思い続けていますので、どんどん心に響き、いろんな知らなかったことに目が開かされました。
そう、この目が開いたというのは、心の目というか、脳内にある目というか、つまり盲目の方が見ておられる目と同じ目なのです。
私の中には、盲目の方は暗闇の世界の中で懸命に生きておられるという先入観がありましたが、確かに目が見えるものにとっては見えないということは真っ暗闇と思うのですが、それはどうも違うことが分かりました。
盲目の方は、私たちの見える世界を超えた情景の中でいろんなことを見ながら生活しておられるのです。
その情景の中には光や影があり、風でそよぐ柳の木や樫の木があり、可愛い動物や虫や蝶が舞っているのです。
盲目の方を不憫に思うのは間違っていました。この世では少数派ですからご苦労も多いのですが素晴らしい世界を持っておられることが分かりました。自然界の美しさを一緒に共有出来るんだ、共有したいと思いました。
ピアニストは、まず楽譜を見て弾くことから始まりますが、その読み取り方法が見える人と見えない人とで違うだけです。旋律がわかった後のテクニックは、見える人と見えない人とでは違いがないのです。
梯さんは、ピアニストとして大変な努力をされますが、それはピアニストを目指す人はみな同じとも言えます。
目が見える人は、つい楽譜に頼ったり鍵盤を見て弾きますが、それでは優れたピアニストにはなれないでしょう。
盲目の方と見える人は同じ人間です。恥ずかしいことにそんな分かりきったことがこの本を読むまで自分は理解していなかったと認めなくてはなりません。それは私だけではなく多くの人がその過ちをしていると思います。だから梯少年は無理解な人々に出会って多くの苦労もされています。でもそれ以上の多くの理解ある人々に支えられ癌と闘いながらも、美しい音楽を求めまっすぐに歩み続ける梯剛之さん。
この本を梯さんを応援するためだけでなく全ての視覚障害者の方たちのためにも読んでほしいと思います。

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あれも嫌い これも好き

「あれも嫌いこれも好き」佐野洋子著 朝日文庫
sano.jpg佐野洋子さんが11月5日72歳で亡くなりました。
前に彼女の母親との確執を赤裸々に綴ったエッセイ「シズコさん」を私の本棚にも取り上げました。
今回「あれも嫌いこれも好き」というエッセイを読んで、つくづく彼女はなんて自分に正直な人なんだろうと感銘を受けました。自分を飾ることなく、人間誰しも持っているわがままな本性をさっぱりと語られます。爽快です。
本業は絵本作家で、「100万回生きた猫」が有名です。私は「おれはねこだぜ」という鯖が好きな猫を描いた絵本が大好きです。
彼女はずっと猫と一緒の生活をしてこられましたが、甘ったるい愛猫家ではありません。猫の人権ならぬ猫権を尊重して猫に接してられたことがよく分かります。猫の日常をよく分かっておられます。
彼女の絵本をそんなに読んではいないのですが、いずれも、いわゆる子供向けの絵本とはちょっとちがった趣でおとなの心を揺さぶる深い思いがふつふつ湧いてくるような絵本です。
このエッセイを読むとさらに絵本が輝きます。
谷川俊太郎と結婚されたことがあるとか、、。もっと彼女のことが知りたくなりました。

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償い

〔償い〕 矢口敦子 著 幻冬舎文庫
主人公の日高英介は優れた脳外科医だったが家庭をかりみず、3歳になる息子を手遅れからインフルエンザ脳症で亡くし、妻は悲しみを理解しない夫に絶望し自殺をしてしまう。
己の愚かさに気付かされた日高は医師を辞めホームレスになって町をさ迷う生活をはじめる。
流れ着いた郊外の町で、社会的弱者ばかりを狙う連続殺人事件に巻き込まれる。そこで12年前に自分が命を救った15歳の少年にめぐり会い言葉を交わすようになるが、少年が犯人ではないかと疑いはじめる。
少年は言う。「不幸な人間は死んだ方が幸せなんだよ。死ぬと不幸が終わるんだから。」驚いた日高は言う。「どんな人であっても、不幸のまっただ中で死ぬなんて、そんな悲しいことをさせちゃいけないよ。人は最後の時には、幸福でなけりゃ。笑って死ねれば、どんな人生にマイナスがあったとしても、そこでプラスに逆転するんだ。」
日高の心には、不幸の真っ只中で死を選んだ妻のことが心によぎる。「人の肉体を殺したら罰されるけれど、人の心を殺しても罰せられないのは不公平ではないか。自分は妻を殺したのも同然だ、、、。自分は裁かれるべきなんだ。その償いを果たすことが出来るんだろうか?」
もし少年が殺人をおこしているとなれば、「私は取り返しのつかない過ちを犯したのだろうか。善を行ったつもりで、悪を行ったのであろうか」と日高は深く悩む。
「償い」は、殺人犯を追うミステリー小説と一言では言えません。精神や心の問題を重要なテーマとした小説です。
さてさて、絶望を抱えて生きる二人の魂は救われるのか?事件の真相はいかに?
感動の長編ミステリーでした。

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ネパールの山よ緑になれ

「ネパールの山よ緑になれ」安倍泰夫著
安倍さんは山家でありお医者様である。
彼がネパールの支援活動にのめりこむことになったきっかけは、1974年の12月、ランタンヒマール山嶺からの下り道で出会った貧しい身なりの少女であった。
運命的な出会いと感じた彼は少女を養女に迎えることを決めた。
そのことから彼のネパールへの援助活動が始まる。
この本は、
「ネパールでは森林が伐採され、土砂崩れ、水源の枯渇が著しく、小児死亡率の第一位は悪い水による下痢だった。半年の乾季と畜害のため植えた苗が根付くのは0,5%と言われていた悪条件を独自の方法で克服し、ついに20万本の緑を復活させるまでの記録」(本書帯から抜粋)
である。
30年間の歩みをふりかえり「多くの方に助けていただいた。’お助けマン’ならぬ’お助けられマン’であった」と、安倍さんはおっしゃる。あくまでも謙虚である。
私が一番感銘を受けたのは、現地のネパール人が民族の垣根を越えて自発的に植林に力をあわせるようになるまで導かれたことである。そこには私が理想に思う「喜びや苦労を分かちあおう!共に学びあおう!」という精神がつらぬかれている。
今年4月のタライ平野からジャナクプールへの道中で、渇水のため水を求めて何キロも歩く人々や、バサンタプールで伐採による禿山を見て胸を痛めていたが、植林に取り組む安倍さんたちのグループが活発に活動されていることを知り本当に嬉しく思った。これからも〔NGOカトマンズ〕の活動を見守りたいと思った。

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テルマエ・ロマエ

furo.jpg「テルマエ・ロマエ 」 ヤマザキマリ著
2010年のマンガ大賞を受賞したコミックです。
お風呂をめぐってくりひろげられる珍しいコミック。
ローマ風呂と日本のおふろを行ったり来たり、、。
爆笑です。
私は温泉好きで旅をすると必ずその地の源泉かけ流し露天風呂を探して浸かります。
著者の夫君はイタリヤ人でイタリヤにも長く住んでおられたようで古代ローマ史もほんまもの。
出身は北海道でひなびた地方の温泉描写もほんまもん。
ひとり声をあげて笑えたコミックでした!!
クックックッ・・(思い出し笑い)

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告白

「告白」湊かなえ著
これも話題のベストセラー。松たか子主演で映画化された。
「愛美は死にました。しかし事故ではありません。このクラスの生徒に殺されたのです。」という中学の女性教師によるホームルームでの告白からこの物語は始まる。
語り手が、女子教師、級友、犯人、犯人の家族と次々に変わりながら事件の真相が暴かれていく。
女教師のぶれない主張。事故死扱いにした警察には訴えずに刑より厳しい制裁を犯人の生徒になげかける。
教師。生徒。親。それぞれの心情がすっきりと書かれていて「なるほどなぁ」と納得できる。
ラストの衝撃的などんでん返しには意表をつかされ楽しめた。
ミステリーでありながら爽やかさを残す読後感を味わった。
これは映画を観るとがっかりするんではないかな。
「悪人」より数倍面白かったです!
お勧めです。

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悪人 

「悪人」(上下) 吉田修一著
映画化もされている話題の「悪人」を読んだ。
九州地方に珍しく雪の降ったある夜。幽霊が出るとの噂のある福岡と佐賀にまたがる背振山の三瀬峠で保険会社に勤める石橋佳乃が殺されているのが発見される。
彼女には携帯出会い系サイトで知り合った複数の男がいてその中の1人清水祐一と、裕福なお坊ちゃん大学生の片思いの増尾圭吾が容疑者に挙がる。
佳乃と祐一と圭吾の生活背景、彼らを取り巻く人々の生活を取り混ぜながら真相を追う話が展開する。
そして殺人犯は祐一であることが確定するが、祐一はこれまたサイトで知り合った女性馬込光代との逃避行をはじめる。
世間では祐一が光代を人質にして逃げ回っているように報道しているが、事実はお互いこれまで満たされない寂しい人生だったのを理解しあって、当てのない逃亡生活に生きがいを感じるのでした。
でも結局最後は逃げ切れずつかまった祐一は、自分を「悪人」と宣言し、光代は解放され日常の生活に戻っていく。
・ ・・・・・・・・・・
<本文より>
でも、あんな逃げまわっとるだけの毎日が、、、あんな灯台の小屋で怯えとるだけの毎日が、、、二人で凍えとっただけの毎日が、未だに懐かしかとですよ。ほんと馬鹿みたいに、思い出すだけで苦しかとですよ。
きっと私だけが舞い上がっとったんです。
<中略>
あの人は悪人やったんですよね?その悪人を、私が勝手に好きになってしもうただけなんです。ねえ?そうなんですよね?
・・・・・・・・・・・・・・
という光代のせりふで物語りは終わる。
なんだかやるせない希望のない暗い小説です。登場人物は全て人生にツイてない寂しい人ばっかり。寂しさを紛らわせる手段がやるせない。出会い系サイトで満たされぬ思いが癒されるものなのか?
この本が話題になり関心を呼んでいるということは、人生に生きがいを感じられない寂しい人が増えているんだろう。
考えさせられたけれど感動は出来ない本でしたねぇ。
映画は見ようかな。妻夫木聡がどんな演技をするのか興味があるし、懐かしい九州の地、博多弁も聞きたい。私は舞台になった佐賀・福岡に9年住んでいたので。

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黄落

「黄落」佐江衆一 著
Y子さんが、「この前紹介していた〔長きこの夜〕を読む前に〔黄落〕を読んでみたけれど、あの本がベストセラーだったとは信じらんないよ?!気分悪かったわ」と、おっしゃったものだから、再読しました。
内容をほとんど忘れていて、読むうちに思い出すという感じで読み始めたのですが面白い!私は名作と思いますよ。
Y子さんは、自分の親を介護するにあたっての夫(著者)の勝手な考えと嫁になる妻への無理解とかが、、、と言ってられれたようだけれど、何がY子さんに受け入れられなかったのか今度はっきり聞いてみなくっちゃ。
介護が必要になった老人にたいして、男と女の考え方の相違、介護する立場とされる立場、夫婦間の考え方の相違、がよく書かれていて成るほどと凄く感じ入ることが多かったです。
♪?男と女の間には深くて渡れぬ河がある?♪加藤登紀子さんの歌を思い出しました。
ベストセラーのなっていい本だと思いましたよ。

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長きこの夜

「長きこの夜」 佐江衆一 著
著者が体験された父親介護の経験をもとに、男の老醜、悲哀、を、7編の短編小説に美しくまとめた本です。
第一話「風の舟」は亡き父の介護を描かれたものであとの6話は書き下ろし。
15年ほど前に、著者の両親の介護の苦しさやるせなさを描かれた「黄落」を読んだとき衝撃を受けたのですが、あのときの大変な父親を、あのあと97歳まで介護され見取られた戦いを知り胸に迫り同情してしまった。
女の老醜は、同性として分かりやすく自戒を込めて読めるけれど、今回知った男の老醜にはたじろぐばかりです。
夫もこのように老いて行くのか?私が先に死ぬとして、息子は父を著者のように介護出来るのかしら?
著者は父親に対し憎しみを感じこそすれ情愛は無くなってしまっているけれど捨てきれないという苦しさ。
・ ・・・・・・・・・
私はやさしい言葉のひとつもかけられぬどころか、憎悪が皮膚を破って突き出てくる。―中略―(ああ、早く死んでくれないか)。私の心の暗闇に棲む鬼が呻いているのだ。
・ ・・・・・・・・
と、思いながら、憐憫の気持ちと自分もいずれこのように、、と思う気持ちで修行修行と自分に言い聞かせながら介護を続けられます。
この本は介護する側からかかれてはいるけれど、介護される側の男性が老いるにつれて否応なく陥ってゆく姿を克明に正直に追っています。
人生の黄昏を、悲哀とある意味豊かさをも感じさせられた良書でした。

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