波切り草

【波切り草】 椎名誠著 文春文庫
著者の自伝的青春小説。

椎名誠といえば小説家というより海が舞台の探検家とイメージが強いのだけれど、彼の育ちはこうだったんだと楽しくよみました。
25年ほど前彼の講演会を聞いて以来のファンです。(小説家としてより探検家としての生き様が)

小学校6年頃から高校2年までの松尾勇という俺の語りで進められます。 
中学1年のころ父親が亡くなり、母と2人の兄と一人の姉、そして自分と一人の弟との6人家族。
裕福とは決して言えないどちらかと言うと貧しい海辺の暮らしの生活。
漁師になりたいという淡い夢を持ちながら、周りの人々の意見を聞いて、それは無理だとわりあい簡単に納得して進路を決めてゆくというごく普通の真面目な少年。

私の息子たちもそんな感じだったし孫息子達もそんな感じ。

友達とのなにげない会話。喧嘩したり嫌な目にあったりしても、それなりに流していける優しくて真面目な性格。
でも一つ一つのことには体当たりに真剣に取り組む姿勢。中でも高校体育祭での競技「棒倒し」に対する情熱は、先日孫の体育祭で棒倒しの熱戦があったので面白かった。

それらの貴重といえる体験が、本人の無意識なうちに身に付き育っていく道程が伝わってくる。

「波切り草」という題も淡々とした物語の中に深い作者の思いが隠されているのが分かる。

こういう風に子どもって成長していくんだとしみじみ嬉しくなる物語でした。 

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そうはいかない

そうはいかない  佐野洋子著 小学館文庫
今回紹介する「そうはいかない」は、私の本棚ででも紹介した絵本「おれは猫だぜ」「100万回生きた猫」やエッセイ「シズコさん」「役に立たない日々」など多数書かれた佐野洋子さんの本です。
先日NHKの人気番組「あさいち」に、佐野さんが結婚したことのある谷川俊太郎さんがゲストに出演し、佐野さんと息子さんの話が出たので急にまた佐野さんのエッセイが読みたくなって買いました。
なくなる1年前にかかれたという、エッセイのような短編小説のような34篇からなっていいます。
実生活に沿ったエッセイなのかフィクションなのか分からないのだけれど、離婚して作家として暮す私と息子の設定から、佐野さん自身の体験から書かれたものであることは感じとれます。
ワガママな母(おそらくシズコさん)と自分。多種多様な極端におかしな中年女友だち。美女とブスの話。厄介な飼い猫に飼い犬。お互いに「わけわからん困った奴」と思いながらも醸し出す母と息子の情愛。
どの話も、「いるいるそんなけったいな人」「あるあるそんなこと」とクスクス笑いながら読み、「これって私のことかも、、」と思わされてしまう滑稽さ。
とても元気が出る34篇です。

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ゆびさきの宇宙

「ゆびさきの宇宙」福島智 盲聾を生きて 生井久美子編纂 岩波書店

ラリグランスクラブでネパールの視覚障害児のサポートをするようになって、見えない世界で生活されている方々のことを知りたくなりました。
以前、私の本棚ででも紹介した三宮麻由子さんの本を何冊か読み、見えない方は視覚以外の五感が研ぎ澄まされ、私のように見える人の世界より、もっと見える世界で輝いて生きておられることを知り感動したものでした。
ネパールのLSG(ラリグランス視覚障害児寮)の子どもたちに見えない世界のことを尋ねた所、三宮さんと同じように見えない世界には独特の素敵な世界があることを教えてくれました。
見えない世界は、私が想像するような真っ暗闇の世界とは違った光りあふれる世界であるらしいのです。
彼女たちの底抜けに明るい表情をみると、確かにそうなんだろうと納得させられました。
その後、福島智さんという目が見えず音も聞けない盲ろうの方が東大の教授になられたというニュースを聞きました。三宮さんやLSGの子どもたちのように、可愛い小鳥のさえずりさえも聞くことも出来ない世界。そこは無音漆黒の世界にただ一人、宇宙に放り出されたような孤独と不安の世界。
先日5月3日の地デジで紹介された、「夫婦二人の里山暮らし」梅木好彦さんと盲ろうの妻久代さんのドキュメントを見る機会がありました。京都府のはずれ味土野という人口5人という超過疎地で肩を寄せ合いながら仲良く暮す夫婦がおられることを知ってびっくりし感動しました。
ますます盲ろうの方の世界を知りたくなった時に、新聞で「ゆびさきの宇宙」が紹介されていたのですぐ注文して読みました。
その本には、東大教授にまでなった盲ろうの福島さんの現在に至るまでの困難な道程を、<困難を突破しながらの生き様>とはとても一言では言えない、深淵で珠玉な言葉で埋め尽くされています。
私の心に一番残った言葉は「不便なことと不幸とは違う」という言葉です。
今日本には約1万人の盲ろう者がおられ、実際に盲ろう者協会に登録してる方はたった約800人で、社会参加を試みている人は6%に過ぎないというのです。
福島さんは自分の身体は、あとの94%の人々のために神に遣わされた身体であり、死ぬまで生きて生き抜いて、盲ろう者の役に立つための使命を遂げたいとおっしゃっています。
そして忘れてはならないことは盲ろう者を支える人々のことです。人と人のコミュニケーションほど大切なことはないということも何度もおっしゃっています。家族、友人、そして指点字が出来る通訳者。

これからいつも横に置いて何度も読み返したい読み返さなければと思った本でした。

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Nのために

「N のために」 湊かなえ著  双葉文庫
著者初の純愛ミステリー。
内容は超高級の高層マンションの1室で、そこの住人大手総合商社課長野口(ノグチ)貴弘と妻奈央子(ナオコ)の変死体が発見されたところから始まる。現場に居合わせたのは4人の若い男女。
大きな夢を持って小さな島から東京の大学に進学し就活している杉下希美(ノゾミ)、杉下と高校同級生でレストランでバイトをしている成瀬(ナルセ)慎司、野口の会社に就職が決まった安藤望(ノゾミ)、大学を留年している小説家志望の西崎(ニシザキ)真人。杉下と成瀬は高校時代ほのかな恋愛感情を持っていた。杉下と安藤と西崎は同じ学生向きの小さなアパートに暮し時々は鍋を囲む仲。アパートから野口のマンションが見える。安藤は杉下に思いを寄せている。
登場人物の全てにNの頭文字があり、題名にある「Nのために」の「N」は、誰なのか?どの「N」が、どの「N」のために何をしたのか?
警察が殺人現場に居合わせた4名から詳しく事情を聞き、西崎が自分が犯人であると自首して問題は解決。となった。
しかし、そこを暴くのが小説。それぞれが誰かを庇い、何かを隠し真相はいかに?
小説のヒントとなる会話を紹介しよう。 
・・・・
西崎「じゃあさ、杉下にとっての愛って何?言い換えよう、究極の愛だ。」
杉下がつぶやく「罪の共有」
・・・・

単なる殺人事件の謎解き小説ではありません。4人の若者たちの、見返りを求めない純真な献身。
探偵小説好きの人、恋愛小説好きの人、両者ともが満足できるなかなか奥深い小説でした。

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かわいそうだね

「かわいそうだね?」綿矢りさ著  文春文庫
恋人の隆大が、ある日とつぜん元彼女のアキヨを「自分のアパートに居候させる」と宣言する。百貨店の洋装売り場に勤める樹理恵は「そんなこと許せないよ」と驚く。アキヨは求職中で住むところがなく、「かわいそうじゃないか。就職が決まるまでのことだ」と隆大。彼は「愛しているのは樹里恵だけでアキヨには恋愛感情は絶対にない」という。
つい樹里恵もアキヨがかわいそうになりそれを許したけれど、勤務中も二人の関係に思い巡らせおちつかない。
そんな悶々とした樹里恵の感情、正体の分からないアキヨ。二人の女性の間で悩む隆大。の3角関係のお話です。
でも単なる三角関係のお話ではない。
「かわいそう」と言ってかわいそうな相手を助けることが、1方で他人を苦しめることがある。「かわいそう」と思っていた相手は実はかわいそうでない場合がある。「かわいそう」と思うのは自分は上位に立って相手を卑しめることになるのではないか。などなど。

ラリグランスクラブのネパールの支援活動も「かわいそう」という感情と密着しているところがあるから勉強にもなった。

第6回大江健三郎賞受賞作品だけあって、まわりくどい文章だったけれど内容に深いところがあって、最後まで興味深く面白く読んだ。

他に女子同士の複雑な友情を描く「亜美ちゃんは美人」の短編もあり、共感することが多々あって、これもとても面白かった。

綿矢りさの著作本をもっと読みたくなった。

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南国港町おばちゃん信金

「南国港町おばちゃん信金」原康子著 新評論社
「支援」って何?”おまけ組”共生コミュニティの造り方

本書は国際協力NGO:認定NPO法人ムラのミライ(旧称ソムニードから改称)の一つのプロジェクトであるところの、インドのスラムに住む女性たちを支えながら、彼女らの自立を目指して信用金庫を立ち上げ10年がかりで軌道にのせるまでの原康子さんの奮闘記です。

私がソムニードに関心を持ったのは、2007年の朝日新聞のフロントランナーにソムニード代表の和田信明さんの記事に魅せられた時からのことです。

どこに感銘をうけたかというと、ソムニードの活動が基盤に置くのは、「住民自らの<気付き>であり、住民はどのような暮らしを望み、どのように生活を変えたいのか、何が問題で、解決策は何かを住民自らが考え、やる気を起こすことの手助けをする」ということです。

原さんはムラのミライ(旧称ソムニード)のスタッフとして、気温40度湿度80%、壁を真っ黒にするハエ、糞尿、生ごみあふれるインドのスラムに身を置きながら活動されます。時には「なんで私はこんな所にいるんだろう?」と思いながら、自分が持つ<手っ取り早く援助をしたい>という上から目線にひきずられ、反省し猛進する姿にはドキドキハラハラしながら目が話せません。

大変苦労の多い活動報告ではあるものの、おばちゃんたちの会話はすべて暖かい岐阜の方弁に翻訳され、ウイットに富んだ文章で、各章全てにオチがあって楽しい。

軽く読めるのに内容はとても深い。

ムラのミライの理念はボランティア活動にだけではなく、育児や教育すべてにあてはまるものです。
原さんは「援助をしない技術」でおばちゃん達を育て、共生コミュニティを作りたいとおっしゃる。

ラリグランスクラブの活動もそのようにしたいといつも思っているけれど、言うはやさしで悩むばかりであります。

この本はボランティア活動をしていると胸を張っておっしゃっている何万人の人全てが読むべき本です。

このブログを読んでくださった方。私がしたように本屋さんで取り寄せてもらって買ってください。絶対に後悔しません。感動します。

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散るぞ悲しき

「散るぞ悲しき」硫黄島総指揮官・栗林忠道  梯久美子著 新潮文庫
第二次世界大戦の最も悲劇的な戦いだったと言われる”硫黄島の戦い”で総指揮官だった栗林忠道の生涯を辿ったノンフィクションである。大宅壮一ノンフィクション賞受賞作品です。

1944年6月、栗林忠道が戦地硫黄島の司令官として任務を受けた時から、日本は戦争に負けることは明白だった。アメリカ軍がB29による日本空襲作戦に出るであろうことも大本営参謀にはわかっていたし、その時期を遅らせるために硫黄島を2万の兵士の命を犠牲にして守りぬくことを参謀は要求していたというのである。

米兵は約6万人、日本兵は約2万人。

硫黄島には水はなく、援軍もなく、弾もないなか、赤紙1枚で駆りだされた軍人でもない普通の市民であった兵士たちは戦い続け、翌1945年(昭和20年)3月26日、、生き地獄さながらの中、兵士はあまりの苦しさで玉砕を望んでいたが、栗林は玉砕を禁じ、自らも自決を選ばず、緻密な作戦を練り、5日で落ちるという米軍の予想を覆し、米軍による最期の壮絶な突撃を36日間持ちこたえて、最期、部下たちの先頭に立って敵陣に突撃してほぼ全員が命果てた。

米兵も1万人近い死傷者を出す、無残な戦争だった。

赴任して戦死するまでの9ヶ月の間に栗林は家族あてに41通の手紙を書いている。戦争中戦場から家族に当てた手紙は綺麗事が書かれたものが多いが栗林は戦地の窮地や留守宅の東京の空襲による危険など率直に書いている。

このノンフィクションは、栗林の手紙とわずかに生き残った兵士の証言を丁寧に検証して書かれている。

その手紙のことを知った有名な米映画監督クリント・イーストウッドが、今年「硫黄島からの手紙」という映画をアメリカから観た観点から制作した。栗林忠道役は渡辺謙、1兵士に嵐の二宮和也、などが出演し、8月15日敗戦日にはテレビでも放映され、私も観た。

映像で戦争の恐ろしさ酷さを視覚的に身に感じることができたけれど、この本にはとても及ばない。

私は、栗林が硫黄島で戦っている頃生まれたのにかかわらず、京都にいたため悲惨な空襲にも会わず、敗戦という哀れな日本の失敗や、戦争の恐ろしさを、学校や家庭で教えられてこなかった。安倍首相はどうなんだろうか?今の政治家は本当に戦争の恐ろしさを身に感じているんだろうか。この本を読んで欲しい。
この本が一人でも多くの人の目に触れ、戦争反対の声が湧き上がることを望みます。

戦争反対をどのような行動で表すことが出来るのか心もとないが、きのう、日本国憲法をノーベル平和賞にというキャンペーンに署名をしたのでした。

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シュガータイム

シュガータイム  小川洋子著 中央文庫
 口にすると甘く舌にとろけていく美味しい砂糖菓子。

 この本は、女子大学生のわたしの、春の訪れとともに始まり、秋の淡い陽射しの中でなかで終わった数ヶ月間のお話である。
 プラトニックラブで結ばれている恋人、腹違いの弟、理解し合える親友とその恋人との、関わりの中での話である。
 恋人には彼女がいることがわかる、愛する弟は成長障害をもつ小人、明るく無邪気な親友。ところがわたしには、始終食べ続けないと我慢できないという厄介な問題をかかえている。

 こうして説明すると特殊な状況と思われるが、違和感のない小川洋子独特の流れるような筆の運びでグングンひきこまれる。

 林真理子が、解説で「シュガータイム」を絶賛しているが、
・・・・
「こんなふうにして、いろいろなことが終わっていくのね」
「わたしたちのシュガータイムにも、終わりがあるってことね」
「砂糖菓子みたいにもろいから余計にいとしくて、でも独り占めにし過ぎると胸が苦しくなるの。私達が一緒に過ごした時間って、そういう種類のものじゃないかなあ」
  という締めくくりは、あきらかに余計である。
・・・・・
 と言っている。

 私はその最期のくだりで、なるほどなるほどと思ったのだが、確かに林真理子が言っているように、その説明っぽいものがなくても、あるいは無い方が、読者は小川洋子の世界に余韻を持って浸れたかもしれないと思った。

 小川洋子の初期の初めての長編。

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アンのゆりかご

「アンのゆりがご」村岡花子の生涯  村岡恵理著 新潮文庫
今人気のNHK朝のドラマ「花子とアン」の原案になっている村岡花子さんのお孫さんによって書かれました。

村岡花子翻訳の「赤毛のアン」は高校生のころとっても面白くて夢中になって読みました。

主人公アンのことや、舞台になったプリンス・エドワード島や著者のモンゴメリーのことなどには思いを馳せたことがありましたが、恥ずかしながら翻訳者にはあまり関心がなかったです。

考えてみると翻訳者の方が紹介してくださらないと、原書を読まないかぎり私等の目に届かないのに、翻訳者は黒子のような存在で、どんな思いでその作品を世に送り出そうと思われたかということまで考えない人が多いのでは無いでしょうか?(私だけか、、?)

村岡花子さんは、は明治26年に貧しい家庭の8人姉弟の長女として生まれました。ところが彼女だけが上流社会のお嬢様が通うカナダ系ミッションスクルール(東洋英和女学院)に奨学生として預けられ寄宿生活をおくることになりました。英語を命として勉強し翻訳者として成長していきます。

勉学に励む背景には、自分の生い立ちから、「貧しい農村の暮らしの改善」「家族制度に縛られてきた女性の解放」「幼い子供、女の子にお話を通して豊かな情操を育てる」という強い思いがあり、図書室にある英文の名書を読みあさり、将来は英米の優れた児童書を翻訳する仕事に情熱をもちます。

そんな時代に同じ思いで活躍する女流作家や社会活動者に愛され深い交流がありました。

例えば、吉屋信子、林芙美子、宇野千代、市川房枝たちその他いっぱい。又ヘレン・ケラー来日の時には通訳として行動をともにされました。

私が夢中で読んだ児童書「乞食と王子」「ハックルベリーの冒険」「フランダースの犬」や、子供に読み聞かせた「いたずらきかんしゃチュウチュウ」「ブレーメンのおんがくたい」など村岡花子さんの翻訳とは気付かなかった。

ドラマ「花子とアン」を楽しく観ていますが、ドラマの数十倍深い生涯を過ごされたことが分かり感動し、この本を読んでよかったとつくづくおもいました。

ドラマを楽しんでられるかた、この本を読まれることをお薦めします。

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森に眠る魚

森に眠る魚
「森に眠る魚」角田光代著 双葉文庫
東京の文京区の街で出会った5人の母親が、最初は育児を通して仲良くなったけれど、幼稚園と小学校入試戦争に巻き込まれろ。
最初は理想的な育児の情報交換などしながら仲良くなっていたのが、幼稚園選びや小学校受験などを考えていくうち、お互いに競争意識、嫉妬、猜疑、優越感などの感情がうずき、心は離れ離れになってく。
それぞれ自分の心の迷いを何とかしなくてはと思いながら追い詰められていく。
現代に生きる母親たちの深い孤独と痛みをえがきだした長編小説です。

私も孫達の中学受験騒動を目の当たりにしてきたので、他人事とは思えず、学校教育って何なんだろうと考えさせられた本でした。

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