白旗の少女

sirohata.jpg「白旗の少女」 比嘉富子 著 講談社青い鳥文庫
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1945年4月、太平洋戦争末期の沖縄本島の南部。この日本最大の激戦地で、逃亡の途中、兄弟たちとはぐれたわずか7歳の少女が、たった一人で戦場をさまようことになった。しかし、偶然めぐりあった身体の不自由な老夫婦の献身で、白旗を持って1人でアメリカ軍に投降し、奇跡的に一命をとりとめた。この少女の戦場での体験をおった愛と感動の記録。(表紙の説明文より。小学校上級から。)
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表紙にも載せられている「白旗の少女」の写真は、1987年(昭和62年)「白旗の少女はわたしです」という見出しで新聞にとりあげられたので、私も眼にして驚いて記事を読んだことを覚えています。
今回、沖縄に旅行をした友人から勧められて読みましたが、本当に心から感動し胸が痛くなりました。この少女は私よりほんの3?4歳年上で、私が京都で戦争のことなど全く知らされず(私は2歳だからしかたない)のんびり生活している時に、沖縄ではこんな体験をされていたのです。
それと、少女を助けたおじいさんとおばあさんのもう言葉では言い表せない大きな愛!
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「いいかね、外に出たら、その白旗がだれからでも良く見えるように高く上げるんだ。まっすぐにだ。いいかね、高く、まっすぐにだよ」と力強くいいました。これが、私が聞いたおじいさんの最後の言葉でした。
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外に出るというのは、隠れていた洞窟から出るということで、白旗は、両手両足をもぎ取られたおじいさんが身につけていたふんどしで、目がみえなくなっているおばあさんが作ってくれたのです。
読みながら涙涙です。
小学生上級からとなっていますが、日本人みんな読まねばならない本です。

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臨死体験

「臨死体験」(上下) 立花隆 著
著者の立花隆氏自身の臨死体験記録と早とちりしてアマゾンから取り寄せた。
実際は著者みずから臨死体験した人に会い取材して集めた臨死体験談で、その体験が科学的に証明されるかどうかを一つづつ丹念に追及した記録であった。
人は肉体と精神(霊魂)とから出来たもので、死ぬと肉体は滅びるが精神(霊魂)は永遠に滅びないということが、臨死体験した人からの証言からわかる記録と言えるかもしれない。
ただ、臨死して遭遇した体験は、あくまでもその人の体験談であり、その体験を科学的に証明するのは難しい。それを著者は、ものすごい執念で、構想、取材、執筆に5年をついやして科学的に証明しようと頑張った渾身の著作である。
臨死体験者どうしが申し合わせをしたわけでもないのに、生死を彷徨っている時に同じ体験(とても気持ちが良く風景は美しく亡くなった人が呼んでいる等)をするというのは、科学的に証明されなくても死後の世界があるのは真実ではないかと立花氏は考える。私もそう思う。
また同時に体外離脱という、体から魂が抜け出し自分の姿を見るという体験談もたくさんある。「ベッドに横たわる自分を親戚縁者が囲み嘆いているのを、天井から見下ろしている自分」という話を、私も聞いたことがある。
とにかく、人間は死ぬと終わり!土に返って終わり!と信じている人は是非読んでみてください。
又、死ぬのは怖いと思っている人も読んで下さい。死が怖くなくなります。

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新・がん50人の勇気

「新・がん50人の勇気」 柳田邦男 著
<迫り来る死を前に人はいかに生きるか・・・
 昭和天皇から本田美奈子まで、
 がんと向き合った作家、俳優、音楽家、学者、僧侶、企業人、
 50余名の「生と死」のかたち
最期の瞬間まで生を全うした 感動のドキュメント >・・表紙より
50余名のうち特に心が打たれた方々は 武満徹、山本七平、森瑤子、重兼芳子、米原万里、馬場のぼる、山口瞳、山本夏彦達の最期だった。
この本に取り上げられた方々は全て「たとえ世界が明日終わりであっても、私はリンゴの樹を植える(マルティン・ルッター)」という言葉をそのまま受けとり、壮絶であり同時に崇高な死を堂々と迎えられたのだと感銘を受けた。
自分の育てるリンゴに生涯こだわり、愛し、誇りを持ち、さらに良いリンゴを育てることに情熱をもって生きてこられた。そしてがんに倒れ、もうリンゴを育てられない身体になったことを悟ってからも、明日も植え続けうる体力を求めて副作用の多い抗がん剤治療を拒否し、民間療法とモルヒネによる痛み緩和を求め、延命よりリンゴを植え続ける気力保持を求めたかたが多かった。
又、宗教をもたない方も多かった。死後の世界は「無」と考え、命を神にゆだねるという考えは少なかった。中には高田真快和尚や高田好胤僧侶の宗教家や死を迎える前にカトリックの受洗をされた森瑤子さんのような方もおられたが。
無宗教のかたは、宗教を「苦しみから逃れる方便」であると考え、「神に頼ることは負け」というような宗教観を持っておられるのではないかと思った。
私は、人間の生死には宗教が欠かせないものと思っているので違和感を持った。
その点では、柳田氏は、理屈や科学では解明できないより優れたものの存在をいつも重要視して、人の生死の裏に隠された無視できない真実を書き添えられている。
「不思議な意味のある偶然」を、決して疎かに出来ないエピソードを同時に綴られている。
白血病で亡くなった兄の最期を思いおこし、膵臓がんと闘っている愛する人の姿をクロスさせながら読んで、深く考えさせられた良書であった。

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tou.jpg凍 沢木耕太郎 著
世界最高峰のエヴェレストと第6位の高さを持つチョー・オユーとの間に位置するというギャチュンカン(7953m)に挑んだ世界的クライマー山野井泰史・妙子夫妻による、壮絶な登攀記録小説(ドキュメント)です。
挑戦したのがこの二人でなければ、遭難死したに違いない過酷な登攀の記録であります。
この登攀で山野井氏は凍傷で右足の指全部と手の指6本、妙子は以前のマカルー登攀で失った指に加え左足の小指と薬指以外は両手足の指全部失いました。
夫妻はそれでもクライマーとしての人生を歩み続けることになります。
その情熱はなんなんでしょう?「どうしてそんな危険を冒して山に登るのですか?」という問いに「そこに山があるからだ」と答えるのがクライマーと昔から言われていますが、本当にそう。それと「ただよじ登るのが好きだから」ということに尽きるみたい。
ここまで好きなことには頑張ることが出来る人間がいるんだと、ただただ驚き深い感動をおぼえました。それも生きるか死ぬかの冒険を夫婦でぴったり呼吸を合わせ味わい戦えるなんて夫婦愛の極限でしょう。
沢木耕太郎氏のその見事な記述たるや、読者は登攀中ずっとその二人の傍に立ち息遣いまで感じるほどのリアルさで、はらはらドキドキ、高山による呼吸困難になるほどのものでした。
これを書くのに、沢木耕太郎氏はどれだけのインタヴューを繰り返されたのでしょうか。驚嘆するばかりであります。
ギャチュンカンはチベット側にあり彼らは車でネパールからチベットに入りそこから登攀するのですが、ネパールとチベット(中国)の国境に架かる友誼橋は、去年私は行ったのですよ!
そのアプローチからして身近に感じ、数倍楽しめました。
写真は去年訪れた友誼橋のある国境。正面はギャチュンカンではないでしょうがヒマラヤです。本には写真が載ってなくて残念。せめてこの1枚が想像の手助けになればいいかと、、。

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イルカと墜落

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イルカと墜落 沢木耕太郎 著
ああ、面白かった!
今読み終わったばかりで、何がどう面白かったのか頭に文章が表れてこない。
でも早くこの面白さを本棚で紹介したい。
というので、本についている帯から文章を抜粋、、。
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乗っていたセスナ機が、ブラジル・アマゾンで不時着。事故の生々しい一部始終を綴った「墜落記」と、その序章にあたる「イルカ記」で描く旅の記録
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せっかく抜粋させてもらったけれど、本の面白さはそこには感じられない。
話の舞台はブラジルとアマゾン。沢木が冒険で求めるのはアマゾンのジャングルに住むといわれる原住人のアウレとアウラの二人。でも、道中で遭遇するセスナ機の墜落で、その目的は達せず終わる。
私はブラジルとアマゾンには行った事がないけれど、お隣のペルー、去年はアルゼンチン、何年か前には今大地震で大変なハイチの隣のドミニカ共和国に行った事があるので、場所には親近感があり、それに加えて地球の未開地にはあくなき興味をもつアウトドア派の私なので、面白くないわけがない。
セスナ機墜落で命拾いした沢木は、後遺症の背中の痛みが癒えず、その苦労までが、去年から腰痛と坐骨神経痛で悩まされた私の痛みとかさなって共感を覚えたのだった。
ああ、おもしろかった!
表紙の絵は、サンパウロの街角で買い求めた、喋り方から軽い障害のある中年の女性がマッチ箱に手描きしたもの。クリックすると大きくなります。

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おごそかな渇き

おごそかな渇き  山本周五郎 著
周五郎の本は、富める者や権力者側には真の幸せがなく、貧しいもの弱い者のなかにこそ、人間の真の幸せがあるということがテーマになっていた、と思います。
若いときの私には、その周五郎の世界は、当たり前のようで新鮮味を感じられず何か刺激がなくて退屈な感じがして敬遠気味のジャンルでした。
今回偶然に手のとった「おごそかな渇きは」昭和42年に朝日新聞に連載され絶筆となった未完の小説です。
昭和17年から書かれ選ばれた10篇の短編集の最後にこの「おごそかな渇き」は載せられていますが、あきらかに他の短編とは違っています。
巻末の解説によると、彼の小説の根底には宗教が根付いて「おごそかな渇き」では、’ 現代の聖書 ’を描きたいというのが周五郎の抱負だったそうです。
そこには周五郎独特の古風な義理人情の話しというより、これだけは書き遺して置きたいという作者の願いのようなページが展開されます。
破壊と殺人が繰り返される戦争、宗教論争、キリスト教徒と仏教、漁業問題、親子問題、教育問題、自然破壊と世紀末、病苦、思春期の問題といった深くて重いテーマが、寒村に生きる素朴な登場人物の会話の中でさらりと軽く描かれます。ゆるぎなくしっかりと、、。見事です。
1967年に64歳で亡くなったのですが、もっと長生きをして、現代の混沌とした世の中に人間愛に溢れた論評を発信して欲しかったとつくづく思わされました。

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思索紀行

思索紀行 立花隆著
この本を読んで立花隆氏に先入観をもっていたことがよく分かった。
私は立花氏のことを難しいことを述べる評論家と見ていたので、この本を友人から紹介されなかったら手に取らなかったと思う。
実際にはその友人より先に夢中になって読んだ。2010年を迎えるときにあたって相応しい書物であった。
私は彼を机上の評論家と思っていたので、彼が’私好み’の根っからの体験派であることがわかって驚き感動し尊敬するに至った。
<<<旅は日常性からの脱却そのものだから、その過程で得られたすべての刺激がノヴェルティ(
新奇さ)の要素を持ち、記憶されると同時にその人の個性と知情意のシステムにユニークな刻印を刻んでいく。旅で経験するすべてのことがその人を変えていく。その人を作り直していく。旅の前と後では、その人は同じ人ではありえない。>>
(もちろん彼のいう旅は添乗員に連れられていく見物旅行ではありません。)
立花隆を育て上げてきた旅(人生)紀行。
生い立ちから始まり、彼の人生の一大転機になったという東大2年の時の、友人と二人で実行したヨーロッパで開かれた「国際学生青年核軍縮会議」に新藤兼人の「原爆の子」などの映画3本を携えて出席するというヨーロッパ無銭旅行の経緯など、のめりこむように読んだ。
彼は私と同じ世代でかれの大学時代の学園紛争・赤軍派の闘争の様子や家庭の事情など手に取るように理解できて興奮した。
イスラエルやスペインやニューヨークの紀行など私もプライベート旅行で行っているので少しの接点があり同調し考えさせられることも多く面白かった。
パレスチナ報告と問題点では、彼自身が自分の無知さを恥じているぐらいで、到底私には難しすぎて自分の’無知の知’を確認しただけだったけれど目が開かれたところも多々あった。
これは買って本棚に収めたいと思った本でした。

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沈黙博物館

「沈黙博物館」小川洋子著
博物館専門技師の僕が乞われて訪ねてきたところは、昔は豪邸だったらしいよごれた邸宅であった。
雇い主は年齢不詳の二つ折れに腰の曲がった汚れた老女で、彼女が13歳から集めてきたという得体の知れない山になって積み上げられたガラクタの収蔵品を整理し、邸宅を博物館にしてほしいという要請であった。
その収蔵品は、村で亡くなった人の形見なのであるが、宝石とか金銭的値打ちのあるものではなく、亡くなった人の生き様を表す遺品であり、その形見が欲しいために老女は村人が亡くなると庭師に形見を盗みに行かせて集めたものである。
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「私が目指しているのは、人間の存在を超越した博物館じゃ。なんの変哲もないとおもわれるゴミ箱の腐った野菜屑にさえ、奇跡的な生の痕跡を見出す、、」
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登場人物は、僕、老婆、美しい養女、家政婦、庭師、修道僧。すべて名前は書かれていない。
僕に遺された母の形見はただひとつ。「アンネの日記」
死に行く人がこの世に遺していく物はなに?彼を一番あらわしている遺品は何?
私の亡くなった両親は、私に何を遺していったのか?
私は何を遺して死ぬのかしら?
奇妙で謎めく話の中に人間の生と死を考えさせられる本でした。

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風の歌を聴け

「風の歌を聴け」 村上春樹著
「私の本棚」でも紹介した、「海辺のカフカ」に感動した私は、村上春樹の処女作「風の歌を聞け」を読まなきゃいけないという気持ちになっていました。
図書館にも近くの本屋さんにもなくやっとKさんから借りることが出来ました。
この欄で度々言っているように、小説の舞台を知っている土地か否かで面白さが随分違うのですが、「風の歌を聴け」の舞台は、村上春樹が育った場所、我が家のすぐ隣の街でそれも楽しみでした。
著者の僕はアメリカの作家デレク・ハートフィールドに出会ったことから作家の道を選んだけれど、文章の書き方に苦悩しているというプロローグから本文が始まります。
時は1970年、東京の大学で生物学を学ぶ僕が、夏休みに帰省して出会った人々、出来事からなる話で、8月8日から始まり26日に終わる物語。
あらすじは取り立てて言うほどのものはないのですが、私が読んだ中では最新の「ねじまき鳥クロニクル」にまで繋がる著者の小説に対するモチベーションの要因がそこかしこに感じられ、とても興味深く面白く読みました。
例えば、鼠という名の友人、出会った小指のない女の子、ジュークボックスのあるバー、火星の底なし井戸などです。村上春樹の本には特に井戸がよく出てきます。
エピローグは再度デレク・ハートフィールドに触れ、村上春樹の小説家としての始動の意気込みを感じ取ることが出来ました。
それから30年。世界中の人々から賞賛を受ける作家となった村上春樹。
単純にすごいなあと思いました。はやく「1Q84」を読まなくっちゃ。

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戦場から女優へ

「戦場から女優へ」サヘル・ローズ著
イラクの首都バグダットで10月25日、連続爆弾テロがあり、136人が死亡、600人近くが負傷したという。バグダットでは8月にも政府庁舎を狙ったテロがあり、このときも100人以上の死者がでた。(10月26日朝日新聞)
1980年に始まったイラン・イラク戦争は1988年8月に停戦の合意に達しましたがその後も紛争は絶えていません。
自爆テロは日本人の感覚では全く理解しがたい行為で、それによって亡くなった方も勿論無念ですが、命が助かっても、身内は全部死に一人生き残ったり、怪我の後遺症の苦しみに苛まれている人々の、肉体的精神的痛みはいかばかりか想像も出来ません。
「戦場から女優へ」を書いたサヘル・ローズさんは、1989年のイラクによる空爆で破壊された町の瓦礫に埋まり、両親兄弟全員が一瞬に死んだ中、ただ一人生きていました。4歳でした。
3日間も埋まったままにいた時、テヘランの大学で心理学を学んでいたフローラがボランティアで駆けつけサヘルを発見します。サヘルは命が助かり孤児院に引き取られます。
一方サヘルのことが気がかりでならないフローラは、結局サヘルを養女にして引き取ります。フローラは裕福な両親から勘当され無一文。日本人のフィアンセを頼ってサヘルをつれ日本にやってきます。サヘルは8歳でした。
フィアンセが優しかったのは1週間。彼は心変わりをし2人は又無一文で彼のアパートを出て、行く当ても無く野宿します。
それからの苦難の日々。学校でのはげしいイジメと貧困。サヘルが中学を終えるまで続きます。高校になって初めて、人間らしい生活が出来るようになり努力の末女優への道が開けてきます。
日本で女優として認められ歩みだしたサヘル。
サクセスストーリーと一言では決して片付けられない重く深い思いが伝わってくる本です。
世界のあちこちで頻発するテロによる破壊と虐殺。報道の裏には何万人もの人々が理不尽な苦しみを押し付けられている現状を、私たちはいつも認識しておかねば、いつまでたっても平和な世界は実現しないでしょう。
私に一体何が出来るんでしょうか?
考えさせられた本でした。

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