いのちの優しさ

「いのちの優しさ」高史明著 筑摩書房
高史明氏は1932年生まれの在日朝鮮人2世で貧困と差別の他さまざまな困難の中を生きてこられた作家です。
1975年の愛息の自死には大きな衝撃をうけられ作家活動と平行して多くの中・高等学校で「いのちの尊さ」についての講演をされています。
この本は学校での講演をまとめたものです。
今回この本を再読しこの本で書かれている「知識という名の落とし穴」についてもう一度深く思い知らされました。
<知識の偏重は自己中心主義に偏っていき私利私欲に陥る危険がある。>という警告です。<知識がいのちを軽んじる。>ということです。
私達はネパールの教育の在り方を垣間見てきた結果、高校卒業試験SLCを高得点でPassすることがネパールの貧しい子供達に残された最善であり最短の道であることを確信しました。
そのため貧しい子供達へのスカラシップ制度を作り子供達を見守って2年になりました。
これら奨学生の学力を育てていく時に絶対に忘れてはならない事は、「SLC合格というのは真っ当な人間として生きていく(自他の命を大切にする)ための単なる方便である」ということです。
そのことをを学力と同時にしっかり育てなければならないと教えられました。

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釈迦

釈迦 瀬戸内寂聴著 新潮社
仏教の祖である釈迦(世尊)・ゴータマブッタの伝記小説である。
ブッダの生涯ずっと傍らに付き添った弟子アーナンダが80歳を過ぎた世尊の最後の遊行を共に歩きながら語り部となって話が進められる。
ルンビニでの誕生から入滅の地ヴェーサーリーまでの足跡が思い出として語られるなかで釈迦のことが分かるようになっている。
私は京都で育ちながら家がクリスチャンだったので仏教について無関心で数年前まで全く無知であった。
ネパールに関わるようになってルンビニを訪れてから急に仏教についての関心が高まり、最澄→空海→法然→道元→親鸞→良寛と次々伝記を読んだ。でも肝心の仏教の祖であるお釈迦様についてよく分からなかったのでこの本を手にした。
瀬戸内晴美・寂聴さんの本はちょっと苦手でこれまであまり読んだ事がなかったのですが、「釈迦」を読んでまず文章の美しい事に驚いた。そのためだと思う。仏陀の言葉がじんわりと心に響き心が洗われるような清々しさを感じた。
釈迦の教えでは女人は魔物であり避けるべきものだということから始まる。だから女には最初出家が許されなかった。それをアーナンダの説得で釈迦入滅間近になってから女の出家が認められるようになる。
驚いた事に初代の尼僧院の院長は仏陀の養母マハーパジャーパティで2代目は仏陀が捨てた妻ヤソーダラーなのである。
瀬戸内寂聴さんは出家されて30年以上にもなられますが、仏教における女性の位置づけについて何度も考えられたに違いないと思う。
この本は単なる偉人伝ではなく、ブッダの人間性に彼を取巻く女性の生き方を巧みに絡ませて書かれ、実は現代にも通じる<女性の生き方>がテーマとなっているのではないかと思った。

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しばわんこの和のこころ

しばわんこの和のこころ 絵と文:川浦良枝 白泉社
日本の文化・風習を季節の移り変わりにあわせて柴犬の「わんこ」が紹介するきれいな絵本です。
絵本といえども日本の文化図鑑ともいえます。茶道に花道。満ち欠けする月の風雅な呼び名などはコーナーを作って詳しく説明があります。
海外に駐在している何人もの知人に差し上げては大変喜んでもらっている絵本です。
お正月の準備では座敷箒を使っての掃除の仕方から床の間飾り。おもてなしの心ではお玄関でお客様を迎えお座敷に案内し座布団の進め方お茶の出し方など。
今日久しぶりに本棚から取り出してみました。
ああ、柴犬「わんこ」の可愛いこと!うちで同居していたワンちゃんが柴犬だったこともありこの本を紐解くたび胸が締め付けられるような懐かしさを憶えるのです。
愛犬の思い出と同時に日本の美しい文化を思い出させてくれるからです。

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星野道夫の宇宙

「星野道夫の宇宙」 星野道夫著 朝日出版社
私が好きで尊敬する写真家である星野道夫(1952?1996)写真展を観にいった。
2月18日まで。於:神戸大丸ギャラリー
星野道夫さんはアラスカの野生動物や自然を写真とエッセイにより多くの記録を残された。
ロシア・カムチャッカ半島での取材中に就寝中のテントをヒグマに襲われて急逝された。
彼がカメラを通して切り取られた北極クマやアザラシの家族写真の情景は目にする人々の胸をうち、私達が大切に守っていかねばならないものに気付かせてくれる。
彼が亡くなって早12年経ったが地球の自然は加速度的に崩壊しつつある。
彼は言う
<一生のうちで、オオカミに出会える人は ほんの一握りに過ぎないかもしれない。
だが、出会える出会えないは別にして、
同じ地球上のどこかに
オオカミのすんでいる世界があるということ、
また、それを意識できるということは、
とても貴重なことのように思える。>
「オオカミ」を「ネパールの子供達」に書き変えても十分通じる哲学です。
「星野道夫の宇宙」は2003年7月に長野県東急セルシェでの写真展の目録ですが、彼の写真集や随筆は書店に沢山ありますから是非見てください。

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遥かな山やま

「遥かな山やま」 泉靖一 著
私はフィールドワーカーを愛し尊敬しています。
最初にその魅力に気付かせてくれた人は、元朝日新聞記者の本多勝行さんです。
もう40年も前の私が高校生のころ朝日新聞にカナダエスキモーのルポジュタールを連載されていて登校前に時間を気にしながら夢中になって読みました。
現地に滞在し、住人達の気持ちに溶け込みながら読者を未開の世界に導いてくれるレポートには嘘偽りがなく感動させられたものでした。
そのようなフィールドワーカーを愛し尊敬する気持ちはその今も変わりません。
さて「遥かな山やま」新潮社 は著者泉靖一(1915年?1970年)の学生時代の頃から1970年に55歳で急死される3ヶ月ほど前までの40年ぐらいの回想記であります。
彼のことは、「ペルーの遺跡発掘調査の基礎を築いた東大の学者」ということしか知らなかったのですが、この本をよみ、彼も根っからのフィールドワーカーであることを知りました。
ペルーの遺跡発掘調査は晩年の数年間であり、彼のフィールドワーカーとしての出発地点は朝鮮で京城帝国大学に入学しアルピニストに開眼するところから始まります。日本の時代の遍歴に合わせて彼のフィールドは移っていくのですがその時代は私達が知っているとおり大変過激であります。日中戦争。朝鮮の植民地の終焉に合わせて母校の大学も消滅。第2次世界大戦に突入。敗戦。大学紛争。と続いていくのですが、その時代時代に合わせて仕事の内容が変わるものの、彼のフィールドワークによって書かれる論文には未開途上国を愛する精神が根底にしっかりありとってもエキサイティングさせられるものでした。
私のネパールからの報告も、出来る限り現地のフィールドに立って現地の人々の息吹を感じさせる報告になればいいなといつも思っています。

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疾走 重松清著

「疾走」(上・下) 重松清著 角川文庫
話の要約は本の表紙裏に書かれたものを写します。
<<広大な干拓地と水平線が広がる町に暮らす中学生のシュウジは、寡黙な父と気弱な母、地元有数の進学校に通う兄の4人家族だった。教会に顔を出しながら陸上に励むシュウジ。が、町に一大リゾートの計画が持ち上がり、優秀だったはずの兄が犯した重大な犯罪をきっかけに、シュウジ一家はたちまち苦難の道へと追い込まれる、、、。15歳の少年が背負った苛烈な運命を描いた小説。>>
平穏無事な生活をしていても、家族の歯車が一つ外れたために次々と難題が連鎖し底なし沼に引きずり込まれるように崩壊していく家庭がある。
歯車が外れた時にすぐ原因をつきとめ歯車をもとの位置にはめ込めれば事件は起こらないのだけれど、外れる前から何らかの要因があり外れべくして外れることが多い。一度外れた歯車はそのまま暴走し壁にぶつかり木っ端微塵に砕ける。
歯車が外れ<疾走>し続ける少年はブレーキをかけたくてもかからない。そんな成り行きで例えば殺人を犯してしまった場合、誰が彼を咎める事が出来ようか。
崩壊のきっかけを作った兄シュウイチと翻弄されて疾走し続けるシュウジは聖書を手放さない。聖書の言葉と平行してドロドロした悪路を疾走する苦難の道。
私もシュウジに伴走しながら大変考えさせられた本でした。

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