「全盲のクライマー、エヴェレストに立つ」エリック・ヴァイエンマイヤー著海津正彦訳
最近、社会で虐げられた人々や障害を持つ人々にたいする偏見、思い込み、差別などを見直さなくてはいけないという趣向のテレビ番組、映画やドラマが増えてきている気がします。
ラリグランスクラブでもネパールの生活困難者や視覚障害の人々の役に立ちたいと懸命にサポート活動を続けていますが、意思の疎通が出来ていなと感じることも多いです。
<役に立ちたい>と手を差し伸べているのに全然違う方向に手を差し出しているのに気付かされたり、私の方が反対に手助けしてもらっていると感じたりします。
これまでに一番勉強になったのは盲聾の福島智さんの本やテレビのインタヴューからでした。
「不便なことは不幸ではない」という言葉。本を読んで勉強してやっと分かることばかりである。
今回は、この本棚でも紹介したクライマー五野井さんの本をもっと読みたいと思い図書館に行った時、登山のコーナーで「全盲のクライマー、エヴェレストにたつ」を見つけて、五野井さんのあの壮絶な登攀と同じコースを、全盲の人がどうやって登攀できたのを知りたくて読みました。
全盲のエリックさんも福島さんのように5~6歳から目が見えなくなりました。現実を受けいれられなくて悔しく晴眼者と同じ行動を危険を顧みずがむしゃらにします。
自転車、水泳、バスケット、レスリング、羽目をはずしたイタズラ。怪我は日常茶飯事、それでも彼は諦めません。
自立を目指しての試行錯誤。
ヘレン・ケラーのいう
「私は、かけがえのない一人、とはいえ、やはり一人。
何もかも、自分でできるわけではない、とはいえ、何かできることが自分にはある。
私は、自分ができることを拒絶するつもりはない。」
という言葉に共感を覚えます。
両親兄弟はそのようなエリックを受け止め、彼がしたいと思っていることをトコトンさせます。
エリックは彼を取り巻く多くの無理解と差別を跳ね返し教師の職を手に入れます。
この箇所はラリグランスクラブでサポートし見事教師の道をつかんだ盲目のシャルミナさんと重なります。
晴眼者の生徒からの情け容赦のない反感反応にもめげず、工夫しながら生徒父兄の信頼と愛情をかちとります。
それでも彼は満足しません。マッキンリーの頂上に立ちたい。
そのための体つくりのトレーニングは前述の五野井さんのトレーニングと変わらない。否、全盲ゆえさらに過酷なものです。
もちろん五野井さんのように単独登攀は出来ない。彼をリードしてくれるガイドが必要です。でもエヴェレスト登攀のガイドを何度も経験しているガイドも盲人をガイドした人はない。熱心な働きがけで、盲人をガイドする初体験をしたいというガイドが現れた。
本当は一人で登攀したいエリックと、盲人を連れていく初体験をしたいガイド。
けれどお互いに命を掛けたアタックであるから我儘は許されない。足を踏みしめる1㎝の誤差で数メートルのクレヴァスに滑落という崖っぷちに足を運ぶ。お互いの体力、技術を尊重しながら協力しあわないと死が待ち受けている。ガイドと助け合って困難に挑戦する中で晴眼者盲人という関係から離れ、同じ目標を持つクライマーとして切っても切れない絆の友情がうまれることになった。
読者の心を揺さぶるのは「全盲」という障害を乗り越え、登山という対象を得て、積極的な姿勢を取り戻して生きるようになるまでの過程だろう。視力が衰えて、しだいに全盲に近づくにつれ、不安が増して精神的に不安定になっていきながらも、周囲の助けを借りてそれを乗り越えていく過程が、本書では、順を追って具体的に描かれている(訳者のあとがきより)
エリックは2001年5月25日エヴェレスト登攀を成功させマッキンリーから始まる世界7大陸の最高峰を盲人として世界で初めて完登しました。
五野井さんの登攀記からは人間としての極限に挑むといったストイックな生き方に感動を受けましたが、エリックの登山からは、同じ極限に挑むといっても、盲人と晴眼者が支え合いながらのチームワークの感動を味わうことが出来ました。