ゲルダ【キャパが愛した女性写真家の生涯】 イルメ・シャーバー著 高田ゆみ子翻訳
この前、沢木耕太郎のノンフィクション「キャパの十字架」を紹介しました。
戦争写真ジャーナリストのキャパを一躍有名にさせた「崩れ落ちる兵士」の1枚の写真が、果たしてキャパが撮った写真なのか?彼の助手を務めたゲルダ・タローのものではないかというドキュメントでした。
今回その謎に包まれたゲルダの生涯を辿った本が、去年の秋出版されたのですぐに買って読んだ。
この時代に女性として自立し胸を張って生き抜いたゲルダの短い生涯に深く感銘を受けた。
沢木耕太郎も本の解説で「私はゲルダという女性の像が明確になってきたことに、興奮を覚えた」と絶賛している。
ゲルダは1910年にポーランド国籍を持つユダヤ人として生まれた。7歳の時第一次世界大戦が終りオーストリア、ハンガリー、ポーランド、ドイツの秩序は乱れるなか、ゲルダはスイスの学校に進学しそのあとドイツの家族の元に帰って進学するが、20歳を迎える頃からヒットラーが政治の表舞台に登場し始め、ユダヤ系の人々は出自を隠した生活をしなければならなくなり、ナチスへの抵抗運動も起こり、ゲルダは解放運動に関わりながらフランスに亡命する。
危険を感じた裕福層や知識人のユダヤ人の多くは、アメリカやフランス、スペインなどに亡命しはじめていた時代だった。
1934年フランスに逃れたゲルダは ポーランドから逃れてきたキャパとパリで知り合う。ゲルダは23歳キャパは20歳だった。
出自を隠さねばならなかったユダヤ人は生きるために仕事を求めなくてはならず、二人は戦場写真ジャーナリストの道を選び、スペインで起こった内戦の戦地に赴く。
一言で戦場ジャーナリストと言っても、そのモチベーションは人それぞれ違ったものがあるだろう。
ゲルダは最初はキャパの付き人のような立場でスペインに渡り、キャパと力を合わせて報道写真を撮影するのだが、ゲルダもカメラマンとしての才覚が現わす。しかし「崩れ落ちる兵士」の写真でキャパが一躍世間に認められるようになり、その頃の戦争の写真はゲルダの写真も紛れて、キャバの名前で発表されることが多かった。
しかし、ゲルダの戦争前線でのカメラが捉える映像は女性としての独特な感覚がありジャーナリストとしての評価もだんだん上がり戦地では勇敢でその上超美人のゲルダは多くの兵士に愛されていた。ところが1937年7月暴走する政府軍の戦車に轢かれて命を失う。27歳だった。パートナーのキャパは失意の中、その後も戦争ジャーナリストとして仕事を続けるが、第1次インドシナ戦争下のヴェトナムで地雷を踏んで命を落とした。40歳と7ヶ月だった。
先日、現在の日本人戦場ジャーナリストたちのことをNHKテレビや朝日新聞で取り上げられていたのを見て感じたが、現在の日本人の戦場ジャーナリストたちのモチベーションは85年の隔たりもありゲルダたちと少し違うことがわかった。
両者とも恐ろしい戦場の状況を世界の人々に知らせたいという根本的な気持ちは同じだけれど。
キャパとゲルダはユダヤ人でゲルダは両親姉弟の全員がナチに殺されている。独裁者がいかに罪なき人々を殺害し国を滅ぼすかを身にしみて感じその惨状を世界の人々に知らせたいという思いは命をかけるほど強かった。
今の日本人にとっては他国での戦場である。イラクやシリアでは、戦争、難民問題、独裁政治はゲルダたちの時代と何も変わっていない。日本では幸いにも戦場になっていないし、茶の間から他国の紛争を眺めて暮らせるのに、傍観者になることは出来ないと戦地に赴き、戦争に巻き込まれて苦しむ人々、酷い戦争の様子を世界に知らせようと立ち上がった人たちが日本の戦場ジャーナリストではないか。
記憶にあたらしいのは、去年2015年シリアのISの犠牲になった後藤健二さん、女性では2012年同じくシリアで取材中に政府軍に銃撃され亡くなった山本美香さんである。
他国の戦争問題を地球全体の問題として戦争の愚かさを世界に知らせようと命を捧げて頑張っている日本の戦場ジャーナリスト達に心より敬意を評したい。
戦争は自分の問題としても受け止めなければいけないと思ったことであった。