クアトロ・ラガッツィ

「クアトロ・ラガッツィ」 若桑みどり著 集英社文庫(上・下)

副題 天正少年使節と世界帝国 

世界で未曾有のジェノサイド[大量虐殺]が、ナチによるユダヤ人虐殺だけではなく日本でもあったということを、世界に余り知られていないのではないか。日本の戦国時代、信長・秀吉・徳川時代のキリシタン迫害である。

日本のキリスト教(カトリック)は、1549年にフランシスコ・ザビエル(スペイン出身・カトリック・イエズス会士)が布教のために鹿児島に上陸したのが始まりである。

 ザビエルは布教のため国の権力者に認められることから始めようと行動を開始するが、日本は朝廷と大名の微妙な力関係があり戸惑いながらも布教の基盤を作り次の宣教師にバトンを渡してザビエルは帰国する。

 その時は信長の時代で、信長は天皇を超える現人神になることを目指し、そのためにも宣教師からのヨーロッパの情報を重要視しヨーロッパの文化を興味深く見、貢物を喜んで受け、その頃力を持ち出した仏教を抑え(例:延暦寺焼き討ちなど)表向きはキリスト教に好意的で(例:教会の建設や修道院や学校建設など)、多くの大名もキリシタンになった(例:大村純忠・高山右近)。

 そして1582年には4名の少年(クアトロ・ラガッツィ)がイエズス会ヴァリニャーノ宣教師によって選ばれ、日本の文化をヨーロッパに知らせ、ヨーロッパの文化を日本に持ち帰らせるために、ヨーロッパに派遣することになる。

 長崎からマカオを経てリスボンに2年の歳月をかけてようやく着き、その間に聡明な彼らはラテン語スペイン語を習得し勉強もしてヨーロッパ各地で大歓迎を受ける。

 8年後の1590年に日本に戻るが、すでに信長は本能寺で討死に、世は秀吉の時代になり、秀吉の野望のためにキリシタン禁止と迫害の時代に変わっていた。

 立派な教養を積み日本に帰った4人を待ち受けていたのは、使節を派遣した権力者たちの死とキリシタンへの未曾有の迫害であった。

4人のその後の激動は本で読んでもらいたいのですが、原マルティーノは国外追放、千々石ミゲルは棄教して行方不明、伊藤マンショは病死、中浦ジュリアンは穴吊りの刑で殉教死。

 宣教師達は毎日の出来事を本部のローマに報告をする義務があり、現在もイエズス会の歴史図書館やローマの古文書館などに彼等の報告や手紙が保存されていて、多くの記録を見ることが出来る。

 「クアトロ・ラガッツィ」は、著者が1549年のキリスト教宣教の始まりから、江戸幕府の徳川家光が第一次鎖国令を出してキリシタンが絶滅させられるまでの80年余りの苦難の道程を、信頼の出来る資料のみに従い、丹念に調べあげ書かれた類まれな歴史書である。第31回大佛次郎賞を受賞。

文庫本1000ページからなる長篇の中身は、日本だけではなく中世ヨーロッパの歴史の広大な波のうねりが全体を占め、その波間に翻弄されて生きた純真な4少年の姿が浮かび上がる。

私はカトリック信者で、今キリスト教迫害があれば、真っ先に棄教のフリをして逃げ回るような弱い信仰しかもっていないし、キリシタンの人々が厳しい取調べと拷問を進んで受け入れ、自分だけではなく幼い子ども達までが殉教の路を選んだことが分からなかったのだけれど、この本を読みその頃の時代背景を考えるに至って、少し理解することが出来た。

 現在地球に生きている私たちは、過去の数千万人からなる尊い命の犠牲によって生まれ生かされているんだと心に深く気付かされた本であった。

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