「わたしの宗教」へレン・ケラー著 静思社
ラリグランスクラブで視覚障害児との付き合いが増えてきたので、彼らが住む暗闇の世界・考えなどを知りたくて、経験者のお話をきいたり本を読んだりしている。
その都度、私のあまりの無知さを思い知らされ、もっともっと勉強しなくては支援活動が誤った方向にいってしまうのではないかと心配になる。
へレン・ケラーは目が見えないだけではなく、聞くことも話すことも出来ないのに、ハーバード大学の女子部とラドクリッフ大学に学び2つの学位を贈られ、不幸な人々のために世界中をまわり、講演し、自らを捧げつくし、目を見張る業績を遺されたのであるが、その鍵を知りたいと思っていた。
そんな時に教会の図書館でこの本が目に付き読みました。
家庭教師のサリバン先生との葛藤は演劇の舞台でも取り上げられて有名になっているが、彼女は6歳の時に先生から水を手のひらに受けて、それがWarterという名前があると知らされ実感として受け容れるまで、暗黒の泥沼の中でもがき苦しむ日々だったという。
そのことがきっかけで、彼女の中に、見えて聞こえる人の世界を理解するようになり、ここが重要なポイントだが、彼女は見えて聞こえる人の世界以上に、自分が見えて聞こえて感じることが出来ることに気付くのである。
そこまでに至った路程がスエデンボルグという宗教学者の宗教観によって鮮明に理解できるようになり、そのことを、見える人と見えない人、聞こえる人と聞こえない人に伝えたいと世界中を旅したとも言える。
私たち見える人から考えると、見えない人は暗闇の中で生活していると思ってしまうのだけれど、実は暗闇ではなく光輝いていて、そこには風のゆるぎ、花々のカラフルな色で満たされ、人々の姿は形からではなく人がもつ魂の霊感を感じて人に接するというのである。
見えない人聞こえない人は、人間界から超えた霊界で生活していると言っていいみたい。
私は死んでも魂はのこると信じているがその世界はこの世の形あるものではない霊界なのだから、見えない聞こえない人は一足先にこの世に生きながら霊界に住んでいるとも言える。
ややこしい説明で申し訳ないけれど、言えることは、見えない聞こえない人の世界は、私の住む狭い世界より限るなく広い世界であるようだ。
見えない人が全てヘレン・ケラーのように感じているのか、それとも個人差があるのか分からないけれど、LSGの子どもからその素晴らしい世界のことを感じ取れたらいいなあと思っている。
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