「あなたに話したい」 晴佐久昌英 著 教友社
著者は、1957年生まれのまだ若いカトリック神父様です。
カトリック教会では毎日聖堂でミサというイエスキリストの最後の晩餐の儀式が行われます。
儀式の中で福音書が読まれますが、その時神父様の説教があります。
この「あなたに話したい」は2003年5月から2004年4月までの1年間、東京高円寺教会でなされた晴佐久神父様の説教集です。
神父様の説教は多くの人々を感動させ、全国から神父様の話を聞くためにバスを連ねて教会を訪ねてくるほどと聞きました。
(カリスマ性のある瀬戸内寂聴さんや美輪明宏さんのよう、、?)
私は晴佐久神父様のことを全く知らなかったので知りたくなりました。
沢山の本を出されている中で「あなたに話したい」というのが、神父様の思いを直接感じるためには良いのかなと思い注文しました。
内容は日頃から他の神父からも聞かせていただいている普通の説教だなあと思いながら真面目にページを繰っていました。
ところが中に一つ衝撃をうけた説教がありました。死者を送る葬儀のミサの中での説教です。
少し長いですが引用します。
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1昨日、ご葬儀ミサがありました。
尊い生涯がついに完成し、神様のもとへうまれ出ていったのです。
その誕生をお祝いしました。
私達キリスト者は、葬儀ミサを喜びのうちにお捧げいたします。だって良い準備、辛い準備のはてに、ようやく本当にまことの親のもとに生まれ出て、親と対面出来るのです。地上にのこされた私達が、地上の感覚でちょっと悲しむのは当然ですが、死の本質は誕生です。ついに本当に生まれたのであって、地上に残された私たちはまだ生まれぬ胎児であり、死者にあこがれて天を見上げるのが葬儀ミサです。
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葬儀を喜びの日と遺族たちに伝えるというのはどうなんだろうかと考えてしまいました。
この時の死者は96歳だったから、喜びの日と言えなくはないかもしれない。けれど神父様は「1歳だろうが96歳であろうが、死は誕生です。」と断言されています。
おそらく幼い子供を亡くした遺族の葬儀であっても「喜びの日」と話されるのだろう。そして悲しみに打ちのめされた人々の心にそのお言葉は響き、悲しみから立ち直れる人々が多くいるほどに心に響く話法なのだろう。
晴佐久神父様の説教はユーチュウブにアップされ世界中で聞くことが出来、何万人の方々が神父様の話に惹きつけられ、耳を傾け感動しているという喜びの声が広がっていると言うことです。
私も早速ユーチューブを開き、お姿お声お話に接しました。
確かに惹きつけられました。